「見栄(意地・プライド)」・・・

とりわけ『男の見栄』というものに対して、

最近いろいろと思うところがあります。

あまり公表したくはない、異(男)性の観察・分析なのですが、

余りにも『平家物語的な哀れな男性』が

多いように見受けられますので、ここで書くことを決めました。

合っているかは?ですが、ご参考までにどうぞ(^^)♪

『見栄』に関しましても、全ては『陰陽』・・・

それが善く出る時と悪く出る時があるようです。

善い時とは、

「俺は男だから、ちゃんと家族(組織)を守らなければならない」と、

例え内面(心身)がボロボロであっても・・・

極論ですが、死ぬまで(死んでも)愛する家族(誰かや何か)を

守るために頑張り続けるというエネルギー(気)の向け方・方向です。

つまり、男の見栄やプライド(自分のエネルギー)を

世のため人のために使う時です。

これが逆に悪い方向へ行く場合が多分にあるようです。

具体的事例を申しますと、

ある一定以上の高い実力がないにも拘わらず、

親の財力にぶら下がって、高級車を乗り回したり、

ほんの一時に得た「あぶく銭」で購入した

高価な腕時計を身につけて「ドヤ顔」をしてみたり・・・

(そのあぶく銭を『いざ』という時の為に蓄えておけばいいのに、

悪い見栄のエネルギーの為に散財してしまい、

後で大苦難が来て、金銭的に困ってドツボに陥るいう定番パターン。)・・・

そして、「いかに自分は凄いか!」と、

周りの人間にまくし立てたりしています。

要は自分自身の器(レベル)よりも

遥かによく見せようと、虚実に走っているという事例・パターンです。

ここでコッソリと・・・

そしてはっきりと申し上げさせて頂きますが

真に凄い人間は

『自分は凄い人間だ』とは

自分から言葉に出されません。

「能あるタカは爪を隠す」し、

真に凄い人間は常に目標や志が凡人より遥か彼方に高いので、

「自分はまだまだです」と常に謙虚・すなおです。

・・・そもそも論といたしまして、良くも悪くも

評価や称賛というたぐいのものは、

自分でするものではなく、周りの人間がするものなのです。

従って、自分で自分の凄さを言動に出せば出す程、

自分自身の手で、自分の評価・レベルを下げているのです。

ですので、わざわざ言葉に出さなくても、

人間の凄さ・レベルは“非言語コミュニケーション”で分かるのです。

そんなコミュニケーション能力のない・・・

感性や霊性の低い・分からない人間はレベルが低く、

そのような人間に評価されたところでそれは真実ではなく、

完全なる虚実であり、無意味どころか、悪・・・罪であります。

更に虚実に走る人間は、虚実に虚実を重ねようとします。

真の実力や真のレベル向上に対する努力をせず、

小手先(目先)の対処療法だけに執着し続け、

結局自分自身の手で墓穴を掘り、ドツボにはまり続けています。

以上が人間の『名誉欲』に囚われた哀れな人間の事例で、

次は『性欲』であります。

これもまた、別の種類・方向性を持った邪念(一種の病気)に

苛まれた哀れな人間たちであります。

まだ独身であれば、100歩譲って『論外』と致しますが、

妻子持ち(既婚者)にも拘わらず、外に性的関係のある異性を持ち、

それに依存し続けている人間のことをお話ししております。

人間の人生における最大の罪は、

家系(家族・イエ)を汚す・・・穢れさせる、

血縁関係(夫婦親子・祖先子孫)の過ち

・・・であり、そこに気づかないまま、

性的な快楽や問題解決の逃避(問題の先送り、怠慢)により、

罪を作り続けている人間は未だに多く存在し続けています。

『甲斐性(カイショウ)のある男=外に女が何人もいて“当たり前”』

という価値観は、我が国においては既に時代遅れ・・・

この精神革命前夜(というか既にもう始まっている!)における日本においては、

もう通用しない古い価値観となり

(やっている人間は正々堂々ではなく、草葉の陰でコッソリやり続けてはります)、

自らの手によって自らを不幸に陥れる、最大の罪となりました。

現代の日本においては、契りを交わした一組の男女が、

お互い脇を見ず一致団結し『和』を描きつつ、

一生を添い遂げるのが、

真の幸福への唯一無二の真理への道であります。

そんな夫婦のあり方は、最も崇高ながら、

最も難しい・・・正に苦行!?(笑)、

そして最も新しくと同時に最も古い夫婦のあるべき姿であります。

パートナー以外の異性と交われば交わる程に『血』が穢れ、

『気(=物事を結実成就させるエネルギー)』が分散・低下してしまいます。

透明な水が入ったコップに黒いインクを一滴一滴入れていくように・・・

契りを交わしたパートナー以外の異性に気が向く程に

身体が、そして魂が穢れてゆきます。

一度濁ってしまったコップの中の水を浄化するには、

多くの手間暇(浄化・消罪作業)が必要になります。

その性的な穢れは勿論

『気』という目には見えないけれど、感覚で“観得る”カタチで顕れて来ますし、

そして目に見え、五感ででも分かる形・・・

『顔相』にも現れますし、体臭に乗って一緒に『匂い』としてでも現れて来ます。

ま、このような感じで、

穢れそのもの・・・穢れの質並びに量というものは、

分からない人間には分かりませんが、分かる人間には分かるのです。

心に存在するものは観得るし、存在しないものは観得ないのです。

それが可視化出来るか出来ないかは一切関係のないことであり、

別次元の話しであります。

・・・性的罪などを犯し続けている人間が、

その罪を自身の人生において償うのは当然の報いな訳ですが、

更に深刻な問題なのが、

自分が犯した罪の一部が子孫に流れてしまうということです。

(なんせ『血』が穢れていますので、その穢れもDNAと一緒に

上流・先祖から下流・子孫に流れて行ってしまいます。

上から下へ・・・それは『自然の摂理』であります)

以上のような、罪&穢れ多き人間に共通することは、

とにかく『生命エネルギーが強い』ということ・・・

つまり動物的本能が強く、動物的感性が鋭いです。

その有り余ったエネルギーを、

自身の心身や家系からの歪みのせいで、

善い方向(自分以外の他者を幸福にさせる方向)ではなく、

悪い方向(自分だけの幸福を追う方向)に使ってしまうのです。

だから、そのような人間たちは

私のような『見透かされる(観得る)人間』にはあまり近づいて来ません。

観得る上に、義(正義や真理・真実)を味方につけ、肚の座った人間には

一切近づいて来ません。

動物的感性により(本能的に)、私のような人間に触れると、

「自分の化けの皮が剥がされる(=虚実がばらされる!)」と分かり、

めちゃくちゃ恐ろしいようです。

ですので、私の側にはそのような人間は存在しません。

近づいて来てもすぐに「ヤバイ」と、私の前から消えてゆきます(笑)。

最後に、以上のような人間に共通することは、

見かけや言動とは裏腹に、

自分自身に対しての何らかの『コンプレックス』や『劣等感』を強く感じており、

小心者であります。

肚が座っているように見せかけておいて、実は中身がカラッポ、そして

虚実でいっぱいであります。

そんなものを隠そう〜隠そう〜として、大きく、凄く装っているだけであります。

そして無意識に自分自身に不信感や自信のなさを強く抱いています。

態度や言動はやかましいくらいデカくても、心や志、

そして根性というたぐいのものは反比例するように小さいです。

一見、いろんな社会貢献をしまくっている人も存在いたしますが、

その真の目的は社会貢献ではなく、社会貢献を通して、

自己顕示欲や名誉欲を満たしたいだけであります。

もしくは、自分を認めて欲しい・より高く評価して欲しいから

社会貢献をするという動機づけです。

その辺り、騙されて利用されてはいけません。

・・・そのような人間を潰す方法は、

そのちっちゃい心を『小さい針』で一点集中し、

突いて差し上げればいいのです。意外とカンタンです。

だけど、そんな人間の中には『ウワテ』人も存在し、

そのちっちゃい心を刺されないように、

アノ手コノ手で防衛されたり、攻められそうな人間を

先に攻撃して潰されたり、同盟組んだりされています。

ほんと、みなさん刀や銃は持っておられませんが、

やっていることは戦国時代から何ら変わっておらず・・・進化・成長しておりません(笑)。

・・・そんな負の感情はDNA(家系)、生後環境、

そして成人になってから自分で植えつけられたか・・・

その人によって個人差があります。

私といたしましては、

そのあふれんばかりの生命エネルギーを、

自己快楽やコンプレックスの解消とか・・・

自分自身のためだけに使うのではなく、

世の中(誰か)のために使って頂いて欲しいなぁ・・・

そしたら世の中がもっとハッピーになるのにな〜・・・と

コッソリ願っています。。。(=人=)☆

実際そのコンプレックスを自己努力の末、

克服・昇華された方がおられ、ごく一部の方ですが、

真に凄い経営者になられておられます。

自分の生命エネルギー・・・つまり『命の使い道』を

もっとしっかりと考え、

自らが与えられた使命・役割に覚醒め、

自分の運命や境遇を修行(実践)によって、

飛躍的に善くされ、次の時代に罪ではなく、

徳を遺す道を歩んで頂きたいなと、密かに思い続けております。。。(ー人ー)☆