最近、立て続けに
2つ「落とし物」をしてしまいました(凹)。
最初はイエローハットのメンバーズカードと割引券。
いつもの置き場所に置いた“はず”が、
どこにもナイ〜っ(>_<)!!! その次が、折りたたみ傘の袋。 自転車で4ヵ所程行って帰宅して、 荷物整理をしたら、 かばんに入っている“はず”の
袋だけが忽然と消えていました…。
行った場所全部また自転車で行きましたが、
ありませんでした…(T_T)。
私は物を探す時間や、
無くしてしまって新たに買う時間とお金…
そして「愛着があるもの」を失うという
精神的ショックを味わいたくないので、
日々整理整頓を心がけ、またその場を去る時も、
忘れ物がないか、人様の分も併せて
確認するように心掛けています。
先日お出会いしたある方は、
たまたま20万円という大金入りの財布が入ったジャケットを、
ジャケットごと盗まれたそうで…
かなり凹んではりました(恐らく酒場ででしょう ー0ー;)。
その話しを一緒に聞いていた方も
「実は若い時、10万円を
ジャケットの内ポケットに入れていたのが、
それが忽然と消えていた。。。」
とおっしゃってはりました。
私はお酒を飲まないのであまり分からないのですが、
酒場は、お酒によって『すき』が出来て、
そこにつけ込む人が多い・・・“盗みの温床”のようですね。
大金を…しかも盗まれた!…って
私の場合は、
大勢に影響のない範囲での落とし物な訳ですが、
物事は全て『小さなことから起こる』ので、
私は何故自分が、小さいながらも落とし物をしたか?
と、考えて結果を出し、然るべき対処して、
今後、大きな落し物をしないように決意をしております。
(もしかしたら、若年性痴呆症カモ・・・怖っ>0<★)
先述の盗まれた方も、
日頃いろいろなことに追われドタバタされており、
しかも元々おっとりした性善説の方のようでしたので、
過去いろいろなものを落としたり、忘れたりされていて、
そしていよいよ『ドカン!』と、大きな盗まれ物をされはった感じです。
私の場合、両親をはじめ
かなり警戒心の強い人に囲まれ育ちましたし、
大阪・八尾はひったくりとか多いので
(※祖父母は生前結構大きく人に騙されたことがあるらしく、
その『教訓』で両親は警戒心が強いです)、
日々警戒してますし、
そして、自分自身過去に『すき』を見せてしまった為に、
某会の会合の中で、
置いていたカバンの中に入れたあった財布から、
財布の奥にあった一万円札を3枚だけ
抜き取られてしまったことがあり、
「私が所属している組織の中にも、
こんなに盗み慣れた罪な人間が存在するのか?!」と
精神的ショックを受けた時がありました。
何故私が財布から盗まれたと、
すぐに分かったかといいますと、
私は常に財布の中に何枚お札があるか把握し、更に
手間から千円・五千円・一万円札と、
また古いお札は手間・新しいお札は奥にし、
向きも頭が上に来るように、ちゃんと揃えているのですが、
盗んだ人は、私が盗まれたことを発見するのを遅くする為に
財布の手前の見えるお札ではなく、見えない奥にあった、
新しいお札を抜いていたのですが、
ちょっと焦っていたようで、
一番奥にあったお札1枚だけの向きが少し斜めになっていたので、
私はすぐに『何かおかしい…あ!奥にあった新札が無い、盗まれた!』と気がつき、
その会のリーダーに報告と相談をしました。
犯人探しは敢えて止めました。
恐らく、私の知っている人だと感じたからです。
手口から観て、明らかに常習性(慣れ)があり、
これは罪深い・・・と感じました。
私は「そのような罪深き人間が存在する組織は潰れてしまえ!」と、
その人間と会に対して、強く『念』を送りましたら、
そんなに時間が経たないうちに、その会は消滅いたしました。
その会の消滅と共に、盗んだ人は、私の周りから消えたようです。
ま、私が念じるまでもなく、そう成るように、
自然となっていたようですね(笑)。
やっぱり、盗んだ人間やそんな人間を蔓延らせる組織や人間は、
自らの手で行(生)き場を失い・・・また健全な生成発展することもなく、
やがて“自然に”地獄へと堕ちて逝くようになっているようです。
わざわざ私が自身の『念』などを使って「復讐」などと、
あやめる必要もないようです。
以上のような私自身の苦い経験もあり、
いくら気心知れた仲間との集まりであっても、
私は警戒しています。
人間、普段は「よい人」であっても、
不足不満に囚われてしまうと、『魔がさす』場合がありますので、
こちら側は『すき』を与えない必要があります。
それが相手にとって『罪』を作らせない方法にもなり、
一種の『徳』だと考えています。
ちなみに、これは「男女の情事」にも当てはまるようです。
興味のない異性には(特に既婚の異性)には『すき』を与えたり、
女(男)性を武器を振り回すことは、
結局その女(男)性にとって「罪」となり、
自身の人生を堕落させてしまうようです。
(その場で一瞬で盛り上がる情事・快楽は、
誰かの犠牲の上に成り立っている儚い幸福であります。
その儚い幸福の本質は「不幸」そのものであります。
それを例えるならば、霧のようなもので、
実態があるようで無い幸福であります。
そのような儚い幸福が真の幸福だと思い込み、囚われ、
人生の桃源郷という名の妄想を
追いかけているている哀れな人間は多いです)
・・・最近、ちょっとあれこれ忙しくって、周りが見えておらず、
それで、物を無くしていっているようです。
ほんと、ドタバタし過ぎていましたので
(しかも喉の風邪をひいてました ^^;)、
もう少しペースをゆっくりにして、視野を拡げたいと思います。
ということでしばし・・・山篭りではなく、
今度は、広〜い海が見える場所に篭りたいと思いま〜す(%笑う女%)(%晴れ%)