ここ数年、
「お遍路に行きたいのですが、どうすればいいですか?」
というご相談をお受けする機会があります。
そのような出来事からの『気づき』を記したいと思います。
私は自らの四国遍路修業の実践並びに、
その体験から得た気づきを、
かなり主観的にそして私らしく、ブログやフェイスブック、
倫理法人会などでの講話、そして日常生活での会話を通して、
四方八方にお伝えをさせて頂いております。
ですので、私が四国遍路をしているということは、
多くの方がご存知です。
当たり前の事実ですが、その中で
「四国遍路には行ったことがないけど、いつか行きたい!」
もしくは「行きたかったので、既に行ったことがある」
という方は少数派で、殆どは
「行きたいとは思わない」もしくは
「行きたいと思うけど、実際行くという行動には移したくない・移せない」
という方々です。
(子供の時に親に連れて行かれたというパターンがあるかと思いますが、
これは『自分の意思』ではないので省きます)
私はここに『縁』というものを感じます。
『縁』というものは、大きく分けて2種類あると感じています。
まず、自らの意思や願望とは関係なくやって来るもの。
例えば、年商1億にしたいのに我社はずっと年商5千万・・・等。
この縁の種類は、その人にとって
悪い境遇を齎す場合が殆どのようです。
もう一つが、「四国遍路に行きたいから、行けるように努力する」という、
自らの意思や願望が引き寄せる縁であります。
こちらのタイプの縁は、その人にとって良い場合がほぼ全てであります。
私たち人間が味わう『縁』というものは、
この2種類の縁(=苦難の超剋と幸福感の追求)を
通しての出会いや気づき、そして言動が、
縦横の糸が織り成す布のように、
自らの人格や人生が形成され、そして彩られてゆくようです。
四国遍路でも何でも、
まずは自分自身が「行きたい」と心を決める〜決心する〜ことが、
願望を成就させる、スタート地点となります。
ここで私が最近強く感じることは、
何か目標を立てる上で、最も根本的で重要なこと・・・それは
『己を知る』『己の器(技量)を知る』
そして『己が与えられた“使命”(天の意思)を知る』
というたぐいのことかと思われます。
「やれば出来る」「念ずれば花開く」という言葉がありますが、
これは己を知り、己に沿ったものでないと
該当しない・理に叶った言葉ではありません。
己を知らない人間や、煩悩・色欲が強い人間が目標設定をすると、
『あれもこれも欲しい』と
とんでもないハイレベルな設定をします。
その極端な事例を申しますと、
現時点で年商5千万の社長が、
2年後に年商5億の会社にするぞ!やれば出来る!!と
豪語するようなものです。
欲深く心身が穢れ、劣等感の強く、
とりわけ生命エネルギーが強くて、
頭の回転が速い男性が、
そのような、自らの『身の丈』に合わない目標設定をし、
自らや周りの人たちを
意味なき苦難の中(不幸)に陥れ、“天の意思”により、
その目標設定を変えるように様々な苦難が
齎らされているにも拘わらず、
「苦難は我が成功への、天からの応援である!これがよい!」と、
間違った知識の認識・解釈で突き進み、
益々ドツボにはまっています。
とにかくそんな人たちは、
景気のいいことを言っている割には顔色や顔相が悪い・・・
陰気(邪気)を発しています。
物に例えるならば
『幹の中心がが腐り空洞になっている大木』です。
物事(自らの願望)が結実成就する為には、
自らの意思と“天の意思”が合致しなければ、
永遠に成就することはありません。
偶然、一瞬成就する時もありますが、
それは娑婆の世界において、
はかなき幻想であり、『自惚れという名の罠』であります。
とにかく今を生きる私たち人間は、
真の成功・幸福を継続発展させ、先祖を供養し、
子孫を生成発展させる為には、足るを知り、己を知り、
『真の己』に生きなければなりません。
自らまた他者が思い描いた虚像に囚われています。
決心が物事を9割結実成就させるようですが、
残り1割をどうすればいいのでしょうか?
四国遍路(歩き)の場合は・・・
1.行くためのお金を作る(物理的条件)
2.行くための時間を作る(時間的条件)
3.行くための体力を作る(身体的条件)
以上3つ全てを揃える必要があります。
遍路に拘わらず、新しいことにチャレンジする場合、
それに注ぎ込む資金(物質や人材)と時間、
併せて自らの心身の健康も必要となります。
これら3つを整えながら最後は、
四国遍路に行くために必要な知識・情報を集めて参ります。
分かりやすく、四国遍路という事例で
説明をさせて頂きましたが、
この娑婆の世界において、
願望を成就させる為に必要なこと〜一連の流れ〜は、
このような感じだと思われました(^^)♪