宮崎県・高千穂 天岩戸神社 〜天安河原〜

【7月5日(日)更新日記 その① 宮崎にて】

ご報告(ブログ更新)が随分、遅れましたが(^^;)、

今日・7月5日(日)お昼・・・

大分・佐賀関からフェリーにて

愛媛(佐田岬)までの移動し、

陸路をマイカーぶっ飛ばして

今は愛媛・松山に滞在しています。

先日のブログ&FB更新から、

熊本(阿蘇界隈)→宮崎→大分と移動し、

この後、しばし愛媛をマンキツした後、大阪に戻ります。

まずは、宮崎で強烈に印象の残った場所を

ご紹介させていただきます♪

それは、「高千穂」にあります

「天岩戸(あまついわと)神社」です。

公式HP→http://amanoiwato-jinja.jp/

とにかく凄かったです。。。

正に『元祖☆パワースポット』(%笑う女%)(%星%)

この神社の下奥に、

“天安河原(あまのやすかわら)”という、

古事記にも出て来る神話の舞台があります。

天照大神(あまてらすおおみかみ)が

岩の中にお隠れになり、

どうすれば出て来られるか?

皆で話し合った場所とのことです。

・・・私が一人で、この河原に行った時は

他に誰も「いない」はずやのに「いる」。

厳密に言うと「いた」かな。。。?

昔生きていた方々の念(御霊〜みたま〜)を

重く、そしてまた爽やかに感じました。

ここに来られた方々は、

ここにある石を積み上げて帰られるようです。

その積まれている無数の石が

何とも不気味で、そして美しく・・・

始めて見た時は、黒光りした美しい骸骨がゴロゴロと

転がっているという異様な風景に観えましたが、

どこか「美」というものがあり、そして

「嗚呼、これが娑婆の世界の

『人生』そのものの風景なんや・・・」

ということを感じた次第です。

ほんと、何とも不思議な風景となっています。

私たち今を生きる人間の世界から、

遥か彼方までの・・・

遠い過去から変わらない、

我が国日本の、この原風景。

側を流れる川の水は変われど、

幾百千の人間(先人たち)が

積み上げられて来た

たくさんの“石”に象徴される

多くの人間たちの“魂(念、想い・・・生きた証)”は、

悠久の歴史を紡ぐ糸となり、

今を生きる私たち日本人(人類)の

人生の礎となっています。

日常生活では、そんな奥深き

見えない「陰」の境地に触れる瞬間もなく

目の前の「陽」の出来事を追いかけ、

また追いかけられていますが・・・。

更に、私がその場で感じたのは

人間の「救い」と「祈り」です。

それらを足したら「幸福」となる。

そして大自然の

『全てをありのままに受け入れる力』。

つまり「許し」・・・

言い変えれば「慈愛」でしょうか?

我々人間が、果てしない時を経て

追い求めるのは高き、また深き「幸福」であり、

様々な紆余曲折を経、

魂と肉体の“生まれかわり”を繰り返し、

間違いなく、

そのあるべき幸福の形に近づいている。

(と、私は信じたい)

しかしながら、それ(今与えられている幸福)に気づかず、

幸福感がなく、自らの心により、不幸に陥いている。

たかだか一人の人生・・・80年程度では、

悠久な歴史から見れは、ほんの、ほんの一瞬であり、

それぐらいで、幸福か不幸かなんて判断しようがない。

大自然(天)からすれば、

一人の80年そこそこの人生が幸か不幸かなんて、

大勢に影響はない。

この場所は神武天皇時代よりももっと昔の・・・

果てしない時を経ても変わらない場所であり、

ここに来ると、我々日本人の悠久の生命の営みまた、

その積み重ね、そして慈しみを感じ、

日本人であることの歓喜が、『深いところ』

つまり私の『DNA(命のもと)から、

静かに、そして熱くこみ上げて来ます。

私たちのこの国家や民族という、

果てしなく大きな家族・コミュニティへの、

『報恩感謝力』を上げたい場合、

このような日本神話時代のゆかりの地に

行ってみてもよいと実感しましたし、

我々日本人の、

これからのゆくべき道(未来)を探し求めるために、

温故知新・・・『原点に還る』という意味でも、

とてもよいと感じました(^^)☆