大分県竹田市 広瀬神社

【7月5日(日)更新日記 その② 大分にて】

宮崎の次は、大分に行きました。

大分県竹田(たけた)市にある、

「広瀬神社」に行きました。

この神社の御祭神は「広瀬武夫 命」です。

広瀬武夫は、かつて日露戦争で

大活躍された海軍中佐であります。

旅順港閉塞作戦において、

36歳で戦死された方です。

司馬遼太郎小説『坂の上の雲』にも登場し、

主人公の秋山真之と同じ明治元年生まれで、

二人はとても仲が良く、数ヶ月間だけですが、

一緒に住んでいたこともありました。

また二人は同時期に秋山真之はアメリカへ、

広瀬武夫はロシアへ公費留学に行っています。

(日本が世界情勢(とりわけ海軍の情報)を

把握するための重要な留学です)

広瀬武夫という人物や

広瀬神社、竹田市についての詳細は、

下記ホームページか、

http://murakumo1868.web.fc2.com/007.html

(あれこれ調べ、このサイトが一番読みやすく、

またシンプルに真実が語られていると感じました)

『坂の上の雲』などの、書籍をご覧下さい。

私は、この広瀬神社に行く前、

大分市在住の山口先生に、

『広瀬武夫 旅順に散った「海のサムライ」』を

お借りし、一通り読ませていただきました。

ですので、広瀬武夫がどのような人生を歩み、

そして旅順の海に散っていったのか?

その概要は掴んでおりましたので、

広瀬神社の最初の鳥居を見た瞬間から、

何とも言えない感情が、魂の底から沸いて来て、

涙腺がゆるみっぱなしで、ダメでした。。。

広瀬神社の境内には、『旅順港閉塞作戦』

(※オンボロの汽船に石を沢山積んで、

旅順港の狭くなっている入口まで動かし、

そこで自爆をして、旅順港の入口を封鎖し、

旅順港にいるロシア艦隊を

外洋に出させないという作戦です。

その作戦の実行部隊の指揮官だった

広瀬武夫を始め、その汽船への乗組員は

自爆させ沈没させた後、ボートで外洋まで逃げ、

日本海軍が引き上げに行くという作戦で、

もちろん旅順港にはロシア軍の艦隊だけでなく

陸には要塞が沢山あり、正に命がけの作戦で、

広瀬武夫は、二回目の旅順港閉塞作戦の時、

自爆脱出後のボートの上で、

ロシア軍の砲弾に当たり、即死しました)

で実際、その広瀬武夫が乗っていた汽船に

積まれていた石を使ったモニュメント(右上写真)がありました。

その他、小さいですが

広瀬武夫の記念館(資料館)もありました。

広瀬武夫の父親・重武は、

かつてあの坂本龍馬と会ったことがあり、

息子・広瀬武夫に常に「坂本龍馬みたいになれ」と

言い続けて来たそうです。

また、母親が早くに亡くなり、祖母から教育を受けたので、

明治元年生まれながら、祖母から『武士道教育』を

徹底的に叩き込まれたようです。

だから、広瀬武夫は明治人でありながら

『サムライ』なんですよね。納得です。

そしてそんな『真のサムライ』だからこそ、

日本人だけでなく、

敵国・ロシア人の多くにも愛されたようです。

・・・私は、その場で強烈に感じたのですが、

早死=不幸なのでしょうか。。。?

そんな素朴な疑問が沸いて来ました。

また、広瀬武夫の生涯で、唯一愛した・・・

愛し合った女性・アリアズナ(ロシア人)との別離は、

不幸だったのでしょうか。。。?

私は、一概にそうは言えない面も

一面として、あるように感じました。

(広瀬武夫とアリアズナとの愛の物語は、

ただただ悲し過ぎ、そしてただただ美し過ぎて、号泣ものです。。。)

広瀬武夫のような自らの意志で

愛する家族の為、愛する国のために

自らの命を懸け、日露戦争の戦場に挑み

そして海に陸に散って行った方々は、

幸不幸を超越し、人間では決して到達の出来ない、

絶対的な幸福の天地に行ったのだと感じました。

当時、広瀬武夫のことを

熱狂的に国家的英雄として、

騒ぎ立てられたとのことですが、

ご本人からすれば、己自身の人生を精一杯生きただけ

当たり前のことを当たり前のようにやっただけであり、

自らが英雄化され、また神格化されることに

違和感がかなりあったのではないでしょうか。

広瀬武夫のような人間は、

人生の意義や価値は、その本人と

所謂『神』という存在で決めるものであり、

他人・第三者が判断・決めるものではないと

思っておられたように感じます。

この「広瀬武夫」という

明治時代に生きた、『一つの人生サンプル(具体的事例)』を通して、

私は日本人としてのあるべき姿を探りたい・・・

そう思っています。

私は「求道者」です。

山口先生からお借りした広瀬武夫の本に書かれていました。

「広瀬武夫は求道者だった」と。

私の場合、道の求める方法は、軍隊ではありません。

違う道であります。

時代も性別もバックボーンも違います。

しかしながら、自らの命(人生)を懸けて、

自らの命の使い道(つまり、『使命』)を

追い求めてゆきたいと考えています。

そんな意味で、私は「求道者」です。

ちょっと変えて、「求道家」にしましょうか(笑)。

私は自らの人生に与えられた、使命・役割を全うする為に

必要なものは、天から与えられ生まれて来て、

またその人生の途中でも与えられ、得てゆくのだと思います。

私の性別や身体の特性、性格、思考形態や価値観は

ハサミやパソコンのような「道具」のようなもので、

自らの人生修業必要なものが

だんだんと与えられてゆくのではないかと思うのです。

私はだんだんと40歳に近づいて来ました。

だんだんと、身体的には老いてきて、

若さに任せて、あれもこれもする時代ではもう無くなりました。

「選択と集中」の時期で、

余計なもの・不必要なもの(人・物・情報)はどんどん捨てて、

「これ」と肚を決めたものに、

集中してゆく時期なのだと捉えています。

この的確な「選択と集中」により、精神がますます研ぎ澄まされ、

精神的レベルが一気に飛躍してゆく時期が

だいたい40歳以降なのではないでしょうか?

(この精神<観えない部分・心>の練磨の必要性に気づき、

それを磨くか磨かないか・・・つまり若い未熟な時のように、

自らのあふれるばかりの生命エネルギーに心身を任せて

見た目や体裁、はたまた

己自身のみの快楽や幸福を追いかけ続けるかにより、

人生の方向性・また人生最晩期(死に様)が

大きく変わって来る、正に『ターニングポイント』に

なってくるのが、だいたい40歳くらいなのではないでしょうか。

私は周りの大人達を日々静かに観察し、そのように捉えております。

・・・人生のシン(真・芯・心など)の価値とは、

健康な心身で持って長生きすること・・・

ということもあります。

健康がないと良い働きが出来ないからです。

しかしながら、この健康をベースに

更に精神的観点からすると、

自分自身と神という絶対的存在が、

納得や満足の得られる人生が歩めているかどうか?

心に描いた・夢見た通りの生き方を出来ているかどうか?

そのようなことが、

人間が真に幸福感を得られる境地なのではないでしょうか。

極端な事例を申しますと、

健康な心身を持っていても、

誰からも必要とされない・誰からも評価されない

誰からも感謝されない

そして、自分自身が納得や満足が出来ない人生って、

果たして人間として幸福なのでしょうか?

私は軍隊や戦争肯定・賛成をするために

広瀬武夫などの日露戦争時代のことを

あれこれ学んでいるのではありません。

我々の祖先は

自らの失敗や罪を忘れず、

御霊を供養し続ける為に、石碑や神社という、

未来永劫残るものを創造したのだと私は感じています。

戦争で死んだ人、生き残るった人が心一つにして、

創造されたものであります。

その時代の人でないと、

その時代の価値観や情勢は分からないのです。

当時の世界のパワーバランスや戦争に対する価値観、

ロシア帝国の脅威なんて、

今を生きる私たちには真実は分からない。

現在のプーチン政権とは全然違うのです。

分からないのに、

「とにかく戦争は良くない」とか、思考停止状態で

単純に反対や判断するのは間違っていると考えています。

人類は過去、散々戦争という

国家や民族で殺しあいをして来ました。

今でも一部でまだ公然とやっているが、

あの国や民族がムカツクとかで戦争はやっていない。

しかしながら、その戦争(国家間の争いごと)の有様が

見えなくなっただけで、今も継続している。

逆に見えなくなり、より複雑、そして陰湿になっていると感じます。

それは身近にある子供同士また

大人同士のいじめ問題(人間関係のトラブル)

と全く同じ構図であります。

また、対立している組織は人間であり、

人間の集合体が組織であります。

しかしながら組織が一つの生き物のようになり、

人間の意思とは別の方向に行ってしまう時がある。

組織が大きくなる・・・人間が増えると、

中心軸にいる人間の器が悪いと、

周辺の人間に悪用される。

その究極は第二次世界大戦であったかと思います。

歴史小説や伝記を読む際、

その小説の人物たちの価値観に合わせないと、

先人から学ぶことは出来ない。

本当のことは分からない。

だけと、分かろうとする、繋がろうとするその心が重要であり、

それは今を生きる人間同士の人間関係も同じだと考えます。

そして、人間は自然の一部であり、

人類や国家全体も、一人ひとりの人生も、

季節の移り変わりのように、あれこれ失敗を繰り返しながら、

一進一退、三寒四温で進化と深化をしているのではないか?

そんなことを思います。

時代時代ごと、人ごとに変わるものもあり、

いつになっても、変わらない普遍性があるのもまた

人間なのではないでしょうか。

広瀬神社は、竹田の旧市街地が見下ろせる

山の上にあります。

この場所から旧市街地を見下ろしておりますと、

広瀬武夫が、いかに竹田の人たちにとって英雄的存在で、

尊敬すべき存在であったか・・・

また、日露戦争以降、第二次世界大戦で

亡くなられた竹田市民の御霊も合祀されているそうで、

いかにこの竹田の人たちが、そのような方々を今でも忘れず

大切に手を合わせておられるのか・・・

そんな町の方々の素晴らしさを感じることが出来ました。

こんな感じで、旅というものは、

書物では決して分からない「空気」というものが

とっても良く分かり、

そして旅をすることにより、

また書物の中に書かれてあることが、

より深く理解することが出来るというものです。

こんな感じで、「ここ、行ってみたい・感じてみたい」と

思ったところは、これからもどんどん行ってみたいです。

ここは過去一度来たことがあったのですが、

もう一度、広瀬武夫のお墓参りに行きました。

その墓前で手を合わせることを通して、

先人たち全ての御霊の御心に触れた

とっても意義ある時間となりました。

あの日露戦争に負けていたら、

私たち日本はどうなっていたのでしょうか?

当時のアフリカや中国みたいに、

植民地化され、徹底的に搾取され、

大正ロマンとか成し得なかったでしょうね。。。

ほんと、歴史って、遠い過去の出来事で

一見、今を生きる私たちとは関係の無い

断絶された遠き国の物語かと思いきや、

実は、深いところで、また観えないところで、

強く繋がっているのだということです。

そして、一人ひとりが断絶している「点」ではなく、

歴史というものは、「線」であり「流れ」であります。

「点」で「こうだ」と思い込んで判断し、

時代の流れを間違って読み失敗している経営者(人間)は

莫大な数、存在しております。

出来る限り自分自身の思い込み(色メガネ)は外し

「点」ではなく、「流れ」、

「局地的」ではなく、「大局的」に物事を捉え、

物事の「ありのまま」を常に捉え、着実に歩を進め、

時代の一歩先行く、先人となり、

地域・国家、そして人類の幸福の礎となって頂きたいです。

最後に・・・

【広瀬武夫 ロシアでの言葉】

「日本は美しい国だから、日本人はみな美しいものを愛しているんです」

感動です。。。。。。