同じ過ちを繰り返す経営者は会社を潰す 同じ過ちを繰り返す国民は国を滅ぼす 前編

今日の日記(ブログ)も徒然なるままに書こうと思いマス(%ニコ女%)(%音符1%)

正しい・正しくない、受け入れる・受け入れないは、

読者のみなさまにご判断を委ねたいと思いま〜すっ(%笑う女%)(%ハート%)

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数年前、尊敬する千葉の経営者の先輩から

「絶対に読むように」と言われ、

たまたま全巻持っていた私の妹から譲り受けた司馬遼太郎小説

『坂の上の雲(文庫本・全8巻)』を一度読破し、

先々月、その小説に登場する日露戦争の英雄

広瀬武夫のゆかりの地(大分県竹田市)を再訪するにあたり、

もう一度『坂の上の雲』を再読し始め、

昨晩ようやく2回目を読破いたしました。

1回目よりも今回・2回目の方が、

より近く、その小説に描かれている真の日本という国家

並びに日本人というものが“観得て来た”という手応えがあると同時に、

3回目を読む時までに、もっといろいろなことを観、

学ばなければならないという、

『良い意味での自責の念』がふつふつと沸いて参りました。

8月上旬から中旬にかけての

この季節(とき)は、我々日本人にとっては、

戦争とは何か?日本人とは何か?

どうあるべきなのか?

特に考えてしまう時期・・・

考えるべき時期なのではないでしょうか?

一億総玉砕・・・ならぬ、

一億総痴呆化現象並びに一億総自己チュー化現象が

日清&日露戦争前後から静かに起こり続け、

(※昭和20年の大東亜戦争後ではありません!)

またそれがいよいよ現代日本において

経済の場、政治の場、そして社会において表面化し、

『末期症状』が起こって参りました。

この地球の歴史というものは、大きく分けて

創造(生)と破壊(死)という

2つのバイオリズムを描き、繰り返して参りました。

現代日本においてその『末期症状』が起こり・・・

つまり、創造の時代はとうの昔に終わり、

惰性でゆるやかに下降して動いていたバイオリズムが

いよいよ破壊に向けて、急降下して行きます。

そのスタートが東日本大震災

(もしくは阪神淡路大震災)だったようです。

これから、日本全体が真に崩壊して(堕ちて)ゆきます。

『観えない部分』ではもう既に崩壊しています。

我々一般大衆全員がそれを観えてしまうと、

「ああ崩壊した!」と思い、

今の生活(人生謳歌)を一気にストップさせ、

本当に崩壊してしまいます。

ごくごく一部の崩壊していると知っている人

(=“天”から選ばれた人)たちだけが、

本当の本当に崩壊させないように、

ホウボウの分野・場所にて、必死でがんばっておられます。

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幕末&明治維新にしろ、日清・日露戦争にしろ、

例え国民一億人が総痴呆化していても、

ごく一部の日本人だけが、智慧(叡智)というものを持っていて

それを確実に実行をすれば、国家全体は崩壊することはありません。

これは既に『歴史(我々の祖先)』が立証しています。

幕末の坂本竜馬や西郷隆盛のような志士が

当時全ての武士や民衆ではありませんでした。

武士階級の人間の1000人に一人が

『志士』であれば、国(組織)は崩壊しないのです。

現代日本においても、その法則は同じで、

ある組織に属する組織員の1000人に一人が

叡智を持ちそれを確実に実践出来る人間であれば、

その組織は崩壊せず、それを免れ、救済されるのです。

しかしながら、現在の日本(世界)には

1000人に一人も『志士』が存在していないようです。

絶対数が足りません。

従って「今のままではいけない」と思っている人は

大勢存在していても、

何もしない・憂え嘆いているだけ・悪人を責めているだけだったり、

一見正しい活動をしているように見せかけて、

実は単なる自己への利益誘導団体だったり、

的外れな集うだったりして、

真に正しい動き(実践)している

人が組織が殆どない状態・・・

あっても規模が力が小さい状態となっています。

とにかく、

組織が、国家が、時代が変わらない・・・

なーんてぼやいているだけでは、

革命が起こらくて、

全て(国家)が衰退の一途を辿っている・・・

それが今の日本の状態であります。

あと、物事には『時期(時運)』というものがあり、

いくら上記の革命者の人数が揃っていても、

いくら正しい行いをし続けていても、

時期が来ないと、物事は結実成就して行きません。

例えば、柿は秋に実るものであり、春には実りません。

それが自然の摂理であるのと同じで、

大自然の一部である人間も例外ではなく、

必ず「時期」というものがあります。

志士を1000人に1人まで多くするのは

あくまで「人事」であり、人間の努力で何とかなる分野ですが、

この『時運』というものは、「天命」の部分であり、

我々人間の意志や努力では、どうしようも出来ません。

欧米発の植民地政策そして産業革命などの

科学的進歩により文明が発達し、

人間は大自然の征服者になってゆき、

「人間は神の如く、全てを支配・操作出来る」と

人間は大いなる罪を犯して(誤認をして)来ましたが、

この人間(西洋人)の犯した罪が今、

欧米諸国に消罪をするようにと、

天が罰を与え続け、衰退の一途を辿り、

と同時に、時代は東洋の時代へと転換が成されています。

これは『文明800周期説』という、

世界の繁栄と衰退は、東西交互に起こるという法則で、

ある日本の歴史学者が統計を元に発見した

時代のバイオリズムであります。

この説は客観的統計学・科学であり、

主観的思想・空想ではありません。

(詳細は割愛。ご関心ある方はインターネット等で調べて下さい)

・・・この時運・・・「運」というものを

我々人間(先人たち)は、どのようにして気づいたり

それを的確に掴んで来たのか?

その方法が『信仰』というものであります。

信仰=宗教、宗教=オウム真理教のような邪教・・・

幕末以降に発生した“一部の”新興宗教

(※全ての新興宗教が邪教ではありません)という名の

宗教法人を隠れ蓑に使ったビジネス集団のことを

私は言っているのではありません。

真の信仰と、

宗教ビジネスと一緒にしないで頂きたい。

そのようなことを単略的に思いつき、

主観的に思い込んで結論付けるのは

無知で痴呆化した人間の戯言であります。

信仰やそれに付随した宗教が

真に人間を幸福へと導かなければ、

とうの昔に時代に淘汰され消えてなくなっています。

私も含めまして、

この娑婆の世界で、たかだか

数十年程度しか生きていない人間が

千年以上継承されているものの全てを理解した上で、

論評や判断、そして排除するだけの叡智は

持っているはずがないでしょう。

無限の叡智・・・宇宙を持った信仰(真理探求)の世界を始め、

この娑婆の世界全ての歴史

(即ちそれはこの娑婆に生きていた人全ての人生です)を

理解し尽くし、判断し、

論評するのは不可能なことと同じであります。

それが無限なる多くの時を経て、今も継承され続け、

消えていないということは、即ちそれが『真実』であり、

今の時代を生きる人にも必要だから残っているのです。

ま、これも『1000人に一人』の法則で、

この娑婆の世界に生きる人間の

1000人に一人が信仰の根幹と知り得ていれば、

いいということになり得ますので、

この話しはこの辺りで終わっておきます。

・・・『信仰』とは、『信』じて『仰』ぐです。

人間は常に「神人合一」であり、

人間は太古の昔より今まで、そしてこれからも、

神〜カミ〜と共に生きております。

カミという名前の『絶対的真理』を

追求し続けることが信仰であり、

偶像崇拝や霊峰での荒行、読経などの修行項目は

信仰を磨き高めるための『方法論の一つ』であります。

また宗教施設や場所に行かなくても、

娑婆の世界には「宗教法人」以外の真理真実を

追求出来る場所や団体、機会もあります。

そして何より、日々の生活自体が修行であり、

自己練磨・・・自他の幸福の追求、そして

真理の追求のための機会であります。

日々与えられる、あらゆる仕事や、

社会的役割を、清く正しく美しく、

そして楽しくこなすこと自体が

『絶対的真理』の追求であり、幸福の追求であり、

この娑婆での人生、そのものの本質であります。

『絶対的真理』は一つですが、それを掴むための方法は

人間の数だけ存在し、いくもあります。

富士山の頂上が一つだけど、

登り口がたくさんあるのと同じ法則であります。

みなさんそれぞれ合った(ピン!と来た)方法で持って、

天から与えられ、また自分が選択した人生を歩みながら、

『絶対的真理』を探求すれば良いと思います。

あの方法がいい・わるいと罵り合うのは、

人間の愚かな戯言であり、

“天”が苦笑いをされておられ、残念ながら

そんな人間は永久に『絶対的真理』には到達し得ません。

そんな見える現象は、他愛もない些細なことで

どうでもいいのです。

見えるものは物事(真理)のごくごく一部であり、

殆ど全ては可視化出来ない(目では見えない)ところに存在します。

重要なのは、『絶対的真理』を探求したいという

己自身の純粋な想い・念(即ちこれが『信仰心』)であり、

自己嫌悪に陥ったり(不信)、他者批判をしている(過信)間は、

いつまで経っても、純粋にはなれず、『絶対的真理』には到達しません。

この娑婆の世界には、

人間の数だけ、いろいろな価値観や各種団体(組織)が存在します。

自分が持つ価値観や、自分が所属している団体

(もしくは自分の価値観に近い人、自分が共感出来る団体)が

最もいい・最も素晴らしいと思っている人はとても多いです。

自分のこと・自分の属する組織が好きだという

自尊心が大きいのはとても良いことだと思います。

それは「自信」だからです。

不信でも過信でもない、ちょうどいい「あんばい」

心のあり方・中庸だからです。

しかしながら、その自尊心が歪んで偏り、

他人の価値観や同じような各種団体を批判や

攻撃したりする道具になってしまっています(過信)。

また、「自分はやっぱり大したこと無い」、

「自分が属している組織は何と見窄らしいのだろう」と

嘆いたり(不信)している姿も見かけます。

このような、過信であっても不信であっても、

ごくごく一部だけを観て、全てを判断し、

全てを知ったとカンチガイして、

「この人はいい」「あの団体はアカン」

「自分はアカン」「あの団体はいい」などど、

結論づけている人間はとても多いです。

以上のような偏ったド近眼人間が、

『絶対的真理』を探求し、真の幸福を得られることは

永久にありません。

哀れとしか言いようがありませんが、

ご本人がその間違い・罪に気付くまでは

どうしようもありません。。。南無阿弥陀仏。

・・・『カミ』とは、『神』とも書きますが、

要は「上」というもののようで、

「うえ」にいる『絶対的存在』のようです。

「上」をいう存在を、

見える化した場所は「神社」であり、

人間として見える化した存在は「天皇」のようであります。

娑婆に存在する絶対的な聖域や聖人という『中心』を配置し、

そこに我々民衆は心を持って行って、

それによって日本人を日本国という

大きな1つの組織を形成し続けて来ました。

その状態を『和(わ)』と表現し、

『大和(だいわ)』を形成し続けることが

我々大和(日本 やまと)民族の真の幸福の形であります。

<つづく>