最近、ほんと忙しく・・・(%ショック女%)(%星%)
忙しいということは、
誰かに必要とされている・・・ということで、
有難いのですが、
最近『何か』が、結構なところまで枯渇して来ました。
日頃、『何か』が枯渇しない為にしていることは・・・
①よく寝る
②マイペースで食べたい時に食べたい物を食べる
③一日一回は『空白の時間』(朝の喫茶店タイムなど)を作る
④心身のリフレッシュ&運動の為に畑仕事に行く
⑤優先順位を明確にし、必要でない・必要度が低いものは
出来る限りお断りする&余計なものは抱え込まず(人間関係含む)、
身辺は出来る限りシンプルに保つ。
ところが、それ以上にオーバーワークになりますと、
心身に疲れがたまる・・・とは別の、
『何か』がだんだん枯渇して、生命力が低下し、
物事を積極的&前向きにガンガン☆やろうという力が
低下してしまいます。
そんな時に私が必ず行う行動は、
四国遍路に行く、
もしくは、吉野界隈(吉野山・洞川)に行くという行為です。
誰かとではありません、必ず一人でです。
誰かと一緒に行くと、『何か』がますます枯渇してしまいます。
ここ一週間くらい、
吉野山の蔵王堂や役行者、大峰山が夢に出てくる勢いで、
「嗚呼・・・行きたい、行きたい・・・」と思い続けているのですが、
とても行ける状態じゃーありません(ムンクの叫び★)。
が、月末にポッ☆と行けるタイミングがありますので、
少し長めに行こうと決意した瞬間に
その『何か』がちょっと満たされた感じがいたしました(笑)。
![](/img/u43837/FI3982754_0E.jpg)
ということで、私が最も好きな
冬の吉野山&洞川の写真を
このブログでアップいたしました♪
春夏秋冬・・・桜に紅葉にいろいろ楽しみ方はありますが、
私は冬の大峰山系が最も好きです。
今年の年末もタイヤチェーン巻いて、
洞川に一人、篭もりに行きたいと計画しています。
私は別に身体(肉体)が疲れている訳ではないのです。
だけど『何か』が枯渇し、疲れているのです。
この『何か』の正体が、私自身、イマイチ分かっていません。
だけど、大峰等の昔ながらの行場に行くと、心が凛!として、
『何か』が一気に充電(チャージ)されるから不思議です(笑)。
![](/img/u43837/FI3982754_1E.jpg)
この『何か』を今、
じっくりと洞察しますに・・・
おそらく『氣』というものなんだと思われます。
「気」ではなく、『氣』です。
私はオーバーワークで身体が疲れたのではなく、
『氣』枯渇し、心が疲れているのです。
肉体が出す活力が、「行動」であれば、
心が出す活力って、『氣』なんだと思います。
肉体の活力の元は食べ物や水分がメインで、
後は睡眠とか運動とかなんだと思いますが、
心の活力の元って、私の場合『信仰』というものなんだと思います。
この『信仰』とは、ある特定の宗教や宗教法人のことを
指しているのではありません。
大いなる生命の本(もと)・・・無限の宇宙からやって来る、
エネルギーという感じでしょうか。
そのエネルギーを、「大峰山という場所」を通して
足らない分を頂戴するという感じです。
(ちょっとこの辺りのことは、言葉では説明しづらいですね。
あれこれ誤解・誤認を招きそうです・笑)
・・・ほんと、最近、あっちこっちに行き、
同時進行でいろいんなこと
(新しいことも含む)を行い続けています。
いろいろ&あれこれとやりながら
『氣』を使っているうちに、
自分の『氣』があっちこっちに分散し、
どんどん『氣』を消耗し続け、自分の心の中からの『氣』の創造が
追いついていない感じです(%ショボ女%)(%涙%)
もしかしましたら、「何故今私はこれをやっているのか?」
「何故今私は生きているのか?」という
人生の本質的な部分を、枝葉の部分(今しなければいけないことを
的確にこなさなければならないという感情や今起こっている現象)に
こだわり過ぎていて
チョット見失っているから起こる現象なのかも知れませんね。
![](/img/u43837/FI3982754_2E.jpg)
しかも、チョット辛いのが、
私は一般の人よりも、比較的他人を必要とせず、
孤独を愛する・・・といいますか(笑)、
誰もいない場所(誰かの『氣』を感じない場所)で
比較的長時間一人でいないと、
氣を使い氣が散ってしまうので、
氣の充電が出来ないタイプの人間のようなので、
だから人里離れた行場まで行かないとアカンようです(?!)
人は生きている限り『氣』という名前の
生命エネルギーを放出し続けています。
日々の人間関係(日常生活)の中で
他人さんの『氣』が、私の身体、そして心に当たり、
それが私の『氣』に影響を与え続け、
自分の『氣』のパワーが落ちたり、穢されたり、混ざったりして
訳わからなくなって来て、私自身の身体は疲れていないのに
魂(心)がフラフラして来ます。
もしかしましたら、私って『氣』の送受信に
敏感なタイプなんだと思います。
敏感だからこそ、あれこれ観得て、分かるので、
娑婆の世界では何かと便利で、
危機回避とか、相手さんの心が何となく観得、
その正確な情報を元に、的確な処置が出来るので、
この敏感さを捨てようとはさらさら思ってはいないのですが
(行によって、更に敏感にしようと考えております)、
とにかく、私にとっての今の課題は、
この娑婆の世界の中のありとあらゆる、ネガティブな『陰氣』に
いかに悪影響を受けないか?なんだと思っています。
その為には、強靭な『霊氣』を、“行”によって、
もっと練り上げ続けなければならないと考えております。
(まだまだ修行が足りませ〜ん・凹)
・・・私がどうして冬の大峰界隈がいいのか?
桜&紅葉シーズン並びに、戸開けの時期(5〜10月くらい)は、
大峰山界隈には大勢の行者・観光客がやって来ます。
いくら磁場が良くても、そこに存在する人間(の氣)が
穢れていれば、その場所も穢れてゆきます。
(※穢れの少ない人はいても、穢れの無い人間はほぼおりません)
都会(大阪)にいるのと同じ状況がそこに存在します。
その点、シーズンオフの冬の大峰には
基本的に地元の方しかおらず、
山神の凛とした霊氣が村全体に充満しています。
穢れはほぼありません。
ですので、冬の最も厳しい時期・・・
娑婆の人間を寄せ付けない時に行をしに行くと、
(そこに身を置くと)、
費用対効果はズバ抜けて高いので、
今後も私はそんな行動をしつづけようと思っています。
とにかく、行き詰った時は、
自分自身が置かれている環境を変えるということが、
手っ取り早い、物事の解決方法であります。
![](/img/u43837/FI3982754_3E.jpg)
そんなかんだで、
これからも更に上手に『氣分転換』しながら、
人生ド真剣に動きまくり・・・
よりよく精進してまいりたいと思いま〜すっ(%笑う女%)(%王冠%)
![](/img/u43837/FI3982754_4E.jpg)