ご報告が遅くなりましたが、9月7日(月)、
(一社)政経倶楽部連合会大阪支部主催の『9月例会』として、
広島県呉市にあります
「海上自衛隊 呉基地(呉地方総監部)に見学に行きました。
前日夕方に呉入りし、
政経倶楽部広島支部の木村事務長&森圓幹事長と合流して、
美味しい広島焼きなどをマンキツ♪
滅多にない支部間交流をした後、
『呉の屋台』に行き、夜空の下、
“呉ナイト”を更にマンキツさせて頂きました。
見知らぬ町を旅をし、
いろんな人や町の風景〜歴史や風土〜を感じ、
更に見聞が高まり、そして深まりました。
翌朝9時からは『大和ミュージアム』に行きました。
開館10年で入館者数1000万人とは、
物凄い勢いで、このミュージアムが
発信することに関心を寄せる人の多さに、
率直に感動いたしました。
入館して常設展の方に行くと、
ボランティアガイドのおじさんが展示物や
左手に持つ補足資料(ファイル)を使って、
何故今呉に基地があるのか?
日本は“大東亜戦争”をしたのか?などなど、
解りやすくそして興味をそそるように
みっちり一時間程で解説して頂きました。
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【右写真(展示物)】
「進歩のない者は決して勝たない、
負けて目ざめることが最上の道だ。
日本は進歩ということを軽んじ過ぎた。
私的な潔癖や徳義にこだわって、本当の進歩を忘れていた。
敗れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるか。
今目覚めずしていつ救われるか、俺たちはその先導になるのだ。
日本の新生にさきがけて散る、まさに本望じゃないか。」
(特攻作戦に参加し戦死した臼渕大尉の御遺言)
ぐっと来ました。。。正に、万感の想い。
幾十にも積み重なった屍。念(想い)、そして「御徳」の上に今、
生かされている私たち。
はい、肝に銘じます。
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ガイドのおじさんは、
とにかく歴史や呉という町や
この大和ミュージアムが好きで好きで仕方がない♪
という感じで、
とにかくめちゃくちゃ勉強をされておられる感じで、詳しい。
難しいことを難しく、
多くのことを多くの時間をかけて話しされる方は、
日時生活では多く存在いたしますが、
このおじさんは、難しいことを解りやすく、
多くのことを割愛や凝縮をして短く率直に話して頂き・・・
しかもこちらも大和ミュージアムが
好きになりそうな勢いで、熱く解説して頂き、
私はそのおじさんの存在が、
大和ミュージアムで一番印象に残っています。
歴史(=ご先祖さま)が好き、
呉(=自分が暮らす町)が好き、
そして自分が追求すること
(歴史や町の素晴らしさをたくさんの方々に伝えること)を
ボランティアであっても
極め続けておられるこのおじさんのような方が、
この日本にもっとたくさん増えれば、
我々現代人は過去(歴史、先人たちの失敗と成功)に学び、
よりよい未来を創造出来るのだと感じました。
時代・歴史は繰り返し・・・
螺旋を描きながら緩やかに上昇してゆきます。
一方今が最もよいものもあれば、
昔が最もよかったものもあります。
大和ミュージアムに海上自衛隊の
広報の方がお迎えに来て下さり、
近くにある『日招きの里』で“海自カレー”をマンキツ♪
http://www.kurefine.com/himanekinosato.php/#home
海上自衛隊では毎週金曜日に
必ずカレーを食べるそうです。
特に潜水艦に乗っている自衛官の方々は、
今が何曜日か分からなくなり、
曜日(時間)感覚が狂うらしく、
それで『金曜日=カレー』と決められたそうです。
ですので、海上自衛隊では美味しいカレーの味が
継承されながら練磨し続け、
そのカレーを地元呉の地域活性化に使おう!
ということになり『観光資源』となり、
そのカレーのレシピを公開し、
シェフが指導に行って、
その海上自衛隊のカレーと同じ味になれば、
『認定証』を寄与し、お店のメニューに追加出来るとのことです。
呉の町は日本全国にある町とチョット違い、
何だか不思議な趣があります。
三方が山に囲まれた港町。
港の向こうにはいくつかの島が見え、
それはまるで『自然の要塞』であります。
また豊後水道を南下すればすぐに太平洋にも出れますので、
この地理的条件が明治の先人たちが、
ここに海軍の基地を作ろうと決めた要因とのことで、
100年以上の時と人間の心血を注いで、
バラバラに存在したあらゆる具材が
一つのカレーとして熟成・一体化されたように、
呉という町は、海軍が町にあるのが自然であり、
風景の中に溶け込み、一体化されており、
“美と調和”を感じ、
これが呉という町の“ふるさとの風景”なんだと思いました。
<つづく>