「自動販売機」

10月3・4日と、

ひょんなご縁からある研修に参加するために、

名古屋経由(集合・待ち合わせ)で、

信州・長野に行くことになり、

朝早くから電車に乗りました。

名古屋行きの近鉄アーバンライナーに乗るために、

いつも乗るJR難波行きの電車に乗り、

最後電車が地下にもぐる手間でふっ・・・と

大学生の時の自分の気持ちや状況が蘇って来ました。

「ああ・・・16年くらい前の自分は

こんな感じ(心境)で『自分探し』をしていたのか」

思えば遠くまで来たもんです・・・(しみじみ)。

『遠く』というのは、

八尾から飛び出し地球の反対側にいる・・・とか、

物理的距離のことではなく、精神的な距離のことです。

あの時は若く、また幼いが故に、

他愛のない些細なことや他人のせいで、

あらゆる落とし穴にハマり、

不必要な物事にも振り回され、

自らの支柱が無い、または乏しい状態で、

とにかく私は

「自分は“浮草”や。根が地面に無く、

ぷかぷかとさ迷っている」と認識し、

その時代流行った所謂『自分探し』をし、

「何か違う」と常に心に何か引っ掛かりつつも、

同世代の他人と同じ幸福を追い求め続けておりました。

大学生時代通った京阪特急は、

一部区間は地下にもぐるのですが、

そこでは車窓は真っ暗になり、

見えるのは自分の不安混じりの若きハリのある顔でした。

あれから年月が経ち今日、

地下にもぐった車窓から見える私の顔は、

ゆっくりと確実に『老い』が来ている状態になっていて、

『嗚呼・・・私も老いて、朽ちる身やな』と、

その現実に改めて愕然としつつも、

「あのハリのあるみずみずしい身体を持っていた

20歳前後・・・はたまた20代には絶対戻りたくはないワ。」

と改めて思いました。

ハリのある若々しい身体は永遠に持ち続けたいですが、

少し老いた私の顔は、

今まで頑張って生きて来た証であり勲章ですので、

自信を持っていきたいです。

にしましてもあの時(大学生前後)は、

バブル崩壊、阪神淡路大震災があった後の

所謂『失われた20年』の始まりで、

私だけでなく日本全体が暗く、

経済的また精神的な支柱を喪失し

急速に堕ちて行った時代です。

自らも就職難にニートにと暗黒の時代でした。

だけど、暗中模索をしながら、

いろいろ失敗しながらも自分探しを続けておりますと、

次の時代(日本の状態はさて起き)

自分の進化の“兆し”が見え、

それを掴んで更にそのステージで、

試行錯誤・失敗の連続・・・

そしてそのような苦しみながら

試行錯誤をすることに終止符が打たれたのが、

29歳の最後から30歳の誕生日の前日までの

19日間体験した『四国遍路』です。

正に30歳になり私は精神的に、

四国遍路によって生まれ変わらせて頂きました。

あれから約8年の歳月が流れ、

相変わらず試行錯誤の修業の日々ですが、

変わったのは私の『心のあり方(物事の捉え方)』であります。

20代の頃までは、苦しみは苦しみでしかありませんでした。

他者・社会から与えられたり、また自らが生み、

増幅させた苦しみの深みにどんどん堕ちていってました。

だけど最初の四国遍路修業をきっかけに、

苦しみの中であっても今を生きている・・・

“生かされている”という『生命への歓喜』や

『神恩感謝』の念が起こり、

また「苦しみは全て私に必要な試練(人生修業の項目)であり、

それを一つ一つこなし、クリアーすることにより、

真の幸福に一つずつ近づいてゆくのだ」と考えれるようになり、

おかげさまで今ではそのような思考形態・人生

そのものが板について参りました。

上記暗黒の20代は、

とにかく時間やお金がある限り、

片っ端からいろいろな場所に行ってました。

体力は若さに任せて大丈夫でした。

当然のことながら、行った場所によっては

明らかに『来なければよかった』

『こんな人とは二度と関わりたくない』等、失敗もありました。

だけど、失敗からだんだんと

失敗の確率を減らすための『コツ』というものを掴みはじめ、

そして、四国遍路等の日々の修業で

『直感(観)力』というものが研ぎ澄まされ、

それらに基づいた“取捨選択”が出来るようになって来ました。

人生全てそうですが、『己を知る』ことが

最も重要【原点、もと】であり、

それから派生して『他者を知る』

『自らが社会ですべきことを知り、実行してゆく』

『自らに必要な知識や智恵、

人脈などを得る為の場所を選定し、そこに行く』

ということを行うべきなのではないでしょうか。

『若い時の苦労は買ってでもしろ』

というような諺がありますが、

今となっては高校時代から30歳手間で

四国遍路に行くまでの若き失敗の時代は、

今のまたこれからの私の人生の、

見えない心の部分での礎となり、

私を陰から支え続けてくれているのだと思います。

さて、前置きが長くなりましたが、

写真は近鉄難波駅にある

ただの『自動販売機』です(笑)。

アーバンライナーを待っている時に

座ったベンチの前にこの自動販売機がありました。

普段私は洞川温泉で汲んでいる

『ごろごろ水』を飲んでいますので、

自動販売機をマジマジと見ることはありませんが、

ベンチの前にありましたので、

最初はぼーっと眺めていました。

すると、ふっ・・・と

『これはうまくまた深く考えられているなぁ☆』

ということに気づきました。

自動販売機は場所を取らないために

なるべくコンパクト&安価になるように設計されており、

シンプルに四角い形をしています。

次に肝心のジュースが並べられている場所ですが、

売れ筋のジュースは2コずつ綺麗に並べており、

例えばお茶では、お茶のペットボトルの周りに少しですが、

お茶畑の風景が配置してあったり、

一言キャッチコピーが貼ってあったりしています。

更に一つ一つのジュースに着目しますと、

どのパッケージも、どんな内容のジュースが

入っているのか容易にイメージが出来るように、

しかも思わず買いたくなるように

美味しそうにデザインされているんです。

ほんと、人間自体もそうですが、

ジュースの世界も、

少しでも自分をよく見せ評価を高めたいと必死でのようです(笑)。

確かに、『お〜いお茶』等の定番&メジャー商品は別として、

試飲が出来ないので、この

“パッケージデザイン(見た目、見栄)”がめちゃくちゃ重要ですよね。

中身がおいしくても、

パッケージが真っ黒で何も書かれていなかったら

みなさん買いませんよね(笑)。

自動販売機も恋愛と同じで、第一印象が重要のようです(笑)。

更に絶妙なのが、並べられている商品はたくさんあるのですが、

繁雑・ごちゃごちゃしていなくて、美しく『調和』しているんです☆

ほんと、一個の自動販売機にも、

あれこれと智恵がつまり創意工夫が成されており

“芸術的美意識”を私はそこに観ました(笑)。

このような感じで、私の大学時代・・・

芸大生でデザイン全般を学んでおりましたので、

とにかく周りにある物のデザインをじっくり見てはカメラに撮り、

何故このようなカタチ(デザイン)なんやろうか?と、

あれこれ考えていました。

何故か今はそんな時代のよしこちゃんに還っています。

やはり何かを得ようとする時は、

大学時代の私のように、

見聞きしたもの・ことを全て吸収するという、

気概が必要なんだと思います。

(最近の日常は見るもの、付き合う人、

行く場所をかなり取捨選択しています)

今回の長野の研修に参加するきっかけ(ご縁)を

話すとかなり長文になるので止めます(笑)。

私は直感的に行くべきだと感じたから

行くことにいたしました。

全ては流れであり『オマカセ』しているので、

具体的な研修内容とか主旨は

イマイチ把握してないので

(とにかく行けは良いという程度の認識です・笑)、

内容報告は出来ない可能性はありますが、

その自動販売機の観察を終えた後に、

ホームから動き始めた電車が消えると、

私が長年『一日参り』をさせて頂いている

奈良県桜井市の『大神神社(三輪大社)』

の看板がドンッ☆と出て来たので、

この研修に行くことは必要な縁やったんやと

確信を得た瞬間でした(笑)♪

私の人生、こんな感じでここぞという時は

『オマカセ』で参ります(^O^)☆