今日は朝から、ベランダに設置しておりました
「ゴーヤカーテン」を撤去させていただきました(ー人ー)。
ゴーヤは夏の植物ですので、
ほぼ枯れておりました。。。
除去するにあたり、枯れ葉や土など、あらゆるもの(ゴミ)が
ベランダの地面や窓にくっついておりましたので、
それをせっせとお掃除していました。
1時間後、ようやくスッキリ☆綺麗になり、
清々しい秋風が、部屋の中に入って抜けてゆきました。
と同時に私の心にも清々しい風が入って抜けてゆきました。
今、植物たちは、来るべき「冬」に向けて
私たち人間の知らないところで、こっそりと
だけど確実に冬支度をしています。
そんな秋の風景の中、せっせとお掃除してますと、
ふっ・・・と
「花にはチョウチョ、う○こちゃんにはハエ」
という言葉が浮かんで来ました。
自然界を観察しておりますと、
例えば・・・
自宅前に生えておりますタンポポには
チョウチョが寄って来ています。
同じく自宅前で、誰かの飼い犬が放置して行った
う○こちゃんにはハエが寄って来ています。
私は今まで、タンポポにハエ、
う○こちゃんにチョウチョが寄って来ているのは
一回も見たことがありません(笑)。
これって、『自然界の法則』ですよね。
こんな感じで、植物の世界は人間の世界よりも
とっても分かりやすく、シンプルです。
この法則が大自然の一部である
私たち人間の世界でも当てはまります。
人間の場合、見た目は全員同じ
「ヒト」のカタチをしておりますが、
おのおののヒトの「心」の有り様によって、
大きく分けて、「花(「善」の象徴)」と「う○こちゃん(「悪」の象徴)」に分けられると
私は観ております。
つまり、心が善の人・美しいところには、
同じ系列(レベル)の人が寄ってくるということで、
心がが悪の人・汚いところには、
同じ系列(レベル)の人が寄って来て、
コミュニティを作る(戯れる)のです。
真に美しい人・場所に、穢れた心を持つ人、
汚れた場所が好きな人は存在出来ない・・・
その人の周りで、またその場所では生きてゆけないのです。
この娑婆では心穢れた人が、
「チョウチョと戯れたい」と願っている場合が多いです。
これは自然界の法則からしますと
「不自然な状態」で、その願いは、いくら強く願っても
永遠に叶うことはありません。
そのような不自然(つまり「我儘」)な人間には、
「信じれば救われる」「信じ続ければ必ず叶う」なとどいう言葉は
通用いたしません。
人は様々な願望を持って生きておりますが、
その願望が「自然界の法則」に沿っているか・・・
神・天の筋書き(絶対的に信念)に合致しているか・・・
よ〜く見極める必要があります。
上記の自然界の法則を、冷静になって考えて観れば、
自分の心が「う○こちゃん」であり続ける限り、
自分にはハエしか寄って来ないということが
すぐに観得て来るかと思われます。
で、自分の心を「う○こちゃん」から「花」にかえる努力
(それを修行、精進と言います)を
せっせと行っておりますと、だんだんと「花」になって来て、
チョウチョが寄って来るようになってゆくのです。
この娑婆で生きている限り、
脳みそをほじくり返して、あれこれと難しく、複雑に考えることも
必要かと思われますが、
時には、このような感じで、シンプルに「ありのままに」感じたまま、
素直に「自然の流れ(自然界の法則)」に沿って
生きることも大切なことだと思われます。
が、更に観得ることは・・・
わがまま(我欲、煩悩、穢れ)の強い・多い人は、
或状況下では、何も考えずに自然の流れに任すべきところを
あれこれ考え過ぎて(しかも間違った方向に)、何もしなかったり
間違った方向に行ったりし、
また別の或状況下では、徹底的に考え、考え抜かないといけないところで、
「オレの直感に狂いはない!」とばかりにカンチガイ&過信し、
リニア的スピードでマッハで行動してしまい、
その自らが起こした勢いで、一気に『生き地獄』に堕ちていってしまい・・・
所謂「救いようのない人」も存在いたします。
(救いようのない人は、一旦、地獄に堕ちないと目が覚めないようですので、
どうしようもできません。。。南無阿弥陀仏。
ま、命さえ取られなければ、いつでもやり直しのチャンスが与えられますので、
ご本人様の『仏心・悟りの目醒め』に期待したいと思います。)
「う○こちゃん的 自己快楽至上主義」の人生は、
それはそれでいいのかも知れませんが、
(私は救いようのない・救われたくないと思っている人間は救わないし、関わりません。
救われたい・救いたいと真に思う方々のみと日々関わらせて頂いております。
私は線引きをし、シャットダウンしております。その辺りが俗な人間っぽいですね・笑)
私は花の境地を目指す、
「精進至上主義者」であり続けたいと、日々思っております。