四国遍路2015冬 つれづれ日記 【その7】

「たくさんの方々にお経を聴いて頂く?」

いよいよ本格的な雨と霧の風景になった、

山寺(82番根香寺)。午後4時半。。。

薄暗い境内にいる参拝者は私のみ。

本堂で一人お経唱えていますと、

ふっ・・・と“誰か”が静かに聞いているという【気配】を感じた。

その気配は明らかに“一人”ではない・・・

たくさん・・・

ざっと千人?とにかくたくさん。

っていうか、明らかに“人間”ではない。

だって、人影が無い。

だけど薄っすらとだけど確実に【気配】だけして

・・・だけど、姿形は無い。

みなさん最初は私のお経をじーっと静かに聞いていたのですが、

だんだん「呟き声」のようなものが聞えてきまして・・・

「ええなー」

「うれしいなー」

「その通りやー」とニコニコと

相槌を打ってるいる感じですので、

こちら側(私)もだんだんテンションが上がって来まして

エ〜〜〜声出してで読経っ(笑)。

気分は観衆にノセられて益々ハリ切る大道芸人です(更に、笑)。

そうか・・・☆

肉体の無い魂は口が無いから、

お経を読みたくても読めないねんな。

お線香の香りが好きでも、

手がないから燈せないねんな。

そのような言葉【念】が耳(五感)ではなく、

別の感覚器官から、

しんみりと聞こえて来た感じがしました

・・・いやはや。

イヨイヨよしこちゃんもオカシクなって参りました(笑)。

夜に向かうお寺に一人いるのは、

あまりいい感じがしません(^^;)。

お化けとか出て来る感じがします。

だけど、その場所や集まる足の無い人たち?(魂)を避けたり、

「怖い」と逃げると追っかけて来たり、

悲しまれるようです。

“彼ら”も私たち人間と同じ魂を持つ存在であり、

私たち人間との違いは、

肉体があるかないかだけのようで、

本質は同じのようで、

好きな音や香りを楽しんで、満たされたいようです。

だから人間と同じ扱いで

『先手の挨拶(先に心を開ける)』をすると、

どんな場所であっても、

どんな魂であっても仲良く出来るようです。

生身の人間も、魂だけの存在もみんな

【念】というものを常に抱いており、

ある条件が揃い、

自らの感覚・意識のチャンネルの次元転換すると、

肉体の無い魂の【念(想い)】や、

森羅万象の【念】が観得来るようです。

以上が、私が山寺で感じたウサンクサ〜イ体験です(^_^;)笑♪