9日の夕方、今宮戎に行く前に
母方の祖母&祖父(育ての)が眠る、
天王寺「一心寺(http://www.isshinji.or.jp/)」
にお参りに行きました。
山門から納骨堂に向かう時に、
ちょうどお日さまと正対する
時間帯(夕方くらい)に行くのが一番好きです。
そこで私は、
「な〜むあ〜みだぁ〜ぁ〜ぶ〜つ、
なぁ〜むあ〜みだぁ〜ぁ〜ぶ〜つ〜、な〜む・・・」と、
いつも母屋の法事で聴く
【南無阿弥陀仏】を抑揚をつけて
ブツブツ小さく唱えるのが好きです(笑)。
このような夕方の頃は、自転車に乗ったりしながらも、
ブツブツ同じように唱えております(爆)☆
なんか、唱えると、落ち着くし、
心の底から、じわーっと静かに幸福感がにじみ出てくる・・・
私とご先祖様の魂が共鳴し、静かな感動を呼んでいる感じです。
(こんなことも『供養』という行為の一つなんだと思います)
午前中は、朝日と共に神社にて神様に
パンパン☆とニ礼二拍手一礼。
夕方近くになってお墓で仏様に向かって
「な〜むあ〜みだぁ〜ぁ〜ぶ〜つ」と唱えながら合掌礼拝。
そんな神仏習合型の生活が
とても気に入っています。
また自作の、
自宅仕事部屋にあります、簡易の『神棚』も、
神様(神社のお札)が上の段で祭っており、
その少し下にある棚には、仏様(寺院のお札)を祀っています。
このような日本古来の信仰対象物に
心を寄り添う生活をしておりますと、
「生きている」のではなく「生かされている」という
謙虚な生活が送れ、
更にいい意味で無理や無駄の少ない
生活が着実に歩めるような手応えを感じています。
世間は嵐が吹き荒れている感じですが、
おかげさまで、日々心穏やかに
過ごさせていただいております(^人^)。
心穏やか、だからこそ、「ありのまま」が観得て来るのです。
だから、見えるので、見えない不安がなく、
怖くなくなって来るのです。
全てを「ありのまま」受け入れられるようになって来るのです。
そして、搾取する心が無いからこそ、誰にも搾取されないのです。
騙す心が無いからこそ、誰にも騙されないのです。
言葉や言動を偽らないからこそ、それらを偽る人間が誰かが分かるのです。
・・・いかに傲慢さや無用な競争や搾取、
そしてワガママから自らを遠ざけ、
それらの呪縛から己自身の精神を開放させるか?
このような日々の些細な・・・
誰にも見えない・分からない
生活習慣(実践)の積み重ねが、
一番じわーっと、人生の真の好転に
効いて来るのだと思います。