19日の夜も更け・・・
地元八尾の商工会議所青年部の先輩方と、
1次会、2次会、3次会・・・と、
夜中1時半頃まで、飲み歩いておりました
(って私はいつもウーロン茶ですが・笑)。
ほんと・・・
「女子でしかもお酒飲まないのに、よく付き合っているねぇ〜」と
いつも言われますが(更に笑)、
これが結構楽しくて、
しかも『THE 娑婆』って感じで、
結構あれこれ娑婆勉強出来るんデス
(具体的内容は、ちょっと?かなり?ヤバイんで、
完全未公開です^^;また更に笑)♪
特に“おねえちゃん”のいるお店での楽しみ方は
先輩方と私は違う部分もありますが、
みなさんの『本音トーク』が聞けて、
まさに腹割って楽しくお話出来るということが、
最大の魅力ではないでしょうか。
ほんと、本音と建前、真実と虚実の狭間で
もがき苦しむ私達人間の人生の中のつかの間の
「息(ガス)抜きの時間〜オアシス〜」の一つとして、
古今東西、こんな感じで気心知れた仲間たちと
夜な夜なワイワイするのも、
これまた一つの人生というものの、
醍醐味ではないでしょうかぁ(^^)?
この夜の繁華街と、
私が日頃足を運ぶ大峰やお四国のような「霊峰(霊場)」って
一見真逆の世界のように見えて、
実は根本的に同じじゃないんかな?って感じています。
どちらにも共通することは、
『人間の本質(性)があからさまに観得る・観得やすい本音の場所』
ということです。
人間は建前や見栄という鎧を被っている間は、
「わがままな状態・すなおで無い状態」であり、
真理・真実というものを自らの心に
取り入れられない状態なんだと思います。
ですので、夜の繁華街や霊峰という本音(地)が出てくる場所で、
いろんな経験を踏み、いろんなことを正しく学ぶ程に、
すなおにいろんなことが自分の心に入って来て、
『真の幸福』に近づけるのではないか?と思っています。
(これはあくまで私の仮説です)
ですので、夜の繁華街が「悪」で、霊峰が「善」とも限りません。
場所や環境が絶対的な善OR悪ではなくって、
その人その人、またその時々によって、善と悪が変わり、
またそれらの度合いが変わっていくものなんだと感じております。
分かりやすい事例を申しますと、
夜の繁華街にも、仏様のような素晴らしい方もおられるし、
霊峰にも修行者のクセして悪魔のような人間の存在します。
場所の問題ではなく、人それぞれの問題であります。
人間は天使と悪魔、美しい仏心と醜い心・・・
陰陽両方を併せ持つ存在であり、
その狭間でもがき続けることが即ち人生修業の根本要素であり、
少しでも仏心の方に心(魂)を
磨き上げて行くことが精進という行為であり、
悟り(真の幸福への境地)への唯一無二の道なんだと思います。
その道を歩むためには、まずはわがままを捨て、
すなおに還ることが必要のようです。
(ま、それがなかなか出来ないのが、
これまた私たち愚かな人間の性なのですがネーー;★)