若き時に「身内の臨終に出合う」ことの意味

八尾から富山に嫁いだ、いとこのおねえちゃんの娘が、

大学受験に向け春休みを利用して、

大阪の大学のオープンキャンパスに参加する為に

八尾に来ていました。

彼女は近所にある私の伯父の家に泊まっていました。

するとたまたま自分が八尾にいる時に、

長年入院生活を送っていた

八尾在住の彼女の母方の「ひいおばちゃん」が亡くなり・・・

ちょうどその臨終に立ち合ったそうで、

更にオープンキャンパスの為に持参していた高校の制服を着て、

お通夜&お葬式も参列したと、彼女の口から教えてくれました。

彼女は「何となく今、ひいばあちゃんのお見舞いにいかなアカン」と感じたらしく、

それで彼女の叔父(八尾在住の私のいとこのお兄ちゃん)に車に乗せてもらい、

病院に行って、寝たきりのばあちゃんの手を握っていたら

いつの間にか亡くなっていたとのこと!

更にそのひいばあちゃんの息子夫婦が旅行か何かで遠方にいた為にしばらく、

代わりに臨終したおばあちゃんの側にいたそうで、

若い男性の葬儀屋さんがやって来て、

お葬式に向けて亡きがらを冷やしたり顔を整えたり・・・と

一連の作業をずっと見てたようです。

彼女はつい先日「自分自身の受験がいかにしんどいか!」と、

永遠に話していたのが・・・

わざわざ夜9時半にお通夜帰りの制服姿で我が家にやって来て、

ひいばあちゃんとの一連の出来事を永遠と話しまくり、

話しが尽きたら、少しスッキリした感じで帰って行きました(笑)。

多感な高校生時代を過ごす彼女からすれば、

【死】というものにマトモに出会うショッキングな出来事のようでした。

とにかくショックで悲しくてわんわん泣いていた・・・と。

そして、【死】というものに最大級の恐怖を感じ、

怖い怖いと嘆いており・・・また更に、

所謂各種【霊障】・・・例えば、目に見えない悪霊的なものが、

自分の周りにやって来て、悪さをする等・・・も恐ろし過ぎる〜!

とも嘆いていました。

(そんなん、ほぼ100%自分自身の恐怖という感情(脳)が作りだした

単なる妄想なんですがネ。。。^^;笑)

私はこの人生を39年間生き、

各種の【死】というものや見えない【幽なる世界】というものを

日々研究しておりますので、

彼女の恐怖におののき、嘆きながら話す言葉を、

「昔、私もそう思っとったわ♪」と、なつかしみながら、

朗らかに頷きながら聞いていました。

私が小さい時や最近のテレビマスコミ

(オウム真理教事件の前後は自粛されありませんでしたが)は、

悪霊系のたましいと、所謂「霊能者」が登場させて、

霊能者が透視をして悪霊や亡き人の魂と会話し、

物事を解決してゆく…という、

まぁー、見えないということを悪用して、

一般大衆を恐怖で引き付けるという、アホなことをしていたりし、

霊・たましい=怖いというスリコミがされているようです(笑)。

確かに大概の人間が死ぬ時は事故や病気で、

身体のどこかが痛いと苦しんで逝くので、

だから【死】=怖い、暗いというイメージがあるんだと思います。

どうやら実際は違うようですが。。。(現在、科学的に研究中です・笑)

彼女は

「たまたま自分がいた時に、ひいばあちゃんが死んで【気持ち悪い】」

と言いましたが、

私はすかさず「それは違う」と正してあげました。

日頃遠方に暮らす彼女が、

ひいおばちゃんの臨終に出合えたことは【幸せなこと、有難いこと】なんですよね。

恐らく親族代表で『呼ばれた』んやと思います。

彼女は家系の中から選ばれたんですよね。

幽なる世界の意思が分かる能力(五感を越えた霊性)がある・

開花しているということです。

この能力があると、「何となくこの人は怪しい」とかテレパシー的に観得るので、

この娑婆で生きるのも比較的ラクになります。

意識が遠退く中で最期、ひい孫に手を握られながら、

朗らかに旅立っていったのです。

ほんと、「ひいおばあちゃん孝行」ですよね(^_^)☆

生きてひいおばあちゃんに出合えるって、本当にうれしいことですよね。

私の場合、両親がそれぞれ三男・三女なので、

ひいおじいちゃん・おばあちゃんは生まれた時点で既に他界・・・

両方のおじいちゃんもすでに他界・・・

両方のおばあちゃんはそれぞれ高校1年の時と大学3回生の時までしか

一緒にこの世にいることが出来ませんでしたので、

ひいおばあちゃんの臨終に出合えたことは、

うらやましくて仕方がありません。

しかも彼女の両方の祖父母はまだまだ元気にご健在です。

それに生まれて初めてマトモに【死】というものに出くわして、

彼女は「人間は必ず死ぬもんなんや」と実感したようで、

【死】というものは、遠いお山の向こうにあると思っていたものは

実は身近にあるもので、今ある命と【死】が“表裏一体”であるという

真実に薄々気づいたようです。

その若き年齢でそれに気づくということは、とても良いことだと思います。

先に逝く人たちは、

今を生きる人に【人はいつか必ず死ぬ】ということを、

身を持って教えて下さっています。

その各人の“死に様”を通して、私たちは生きることの深さや高まりを、

より磨き高めてゆくのだと思います。

彼女は伯父の家に戻る前に以下のことを言っていました・・・

「私もそうやけど、パバもママもいつか死んでしまう。

ママはちゃんと受験勉強しない私が『ストレスや』と言う。

ストレスはガンとか病気のもとやし、

ママにストレスじゃなくて、喜んでもらえるように

ちゃんと勉強せなアカンと思った。」

・・・と言って帰って行きました。

つい先日まで、どれだけ受験勉強が大変で親を筆頭に

日々プレッシャーを与えられ過ぎていて、辛いか!?と、

コンコンと私に愚痴っていましたが(笑)、

ひいおばあちゃん(=天)のおかげ・ご縁で、

コロッ☆と受験勉強に対しての意識が前向きになり、

三途の川を渡ったそのおばあちゃんも、

大喜びされておられることでしょうね(^人^)☆

辛くてしんどい受験勉強も、生きているからこそ、

感じられる【幸せになるための苦難・試練】なんですよね。

死んだ人間は受験勉強出来ませんし。。。ほんと。

生きているからこそ、味わえることなんですもんね。。。(しみじみ)。