電車の中であれこれ考えており、ふっと・・・
「人間は【正しいこと】ではなく、
【自分が良いと思ったこと】を選択し、
やりたい“動物”なんや」
ということに気づきました。
(実際、正しいか間違っているかは分かりません・笑。
さらっと流してくださいマセ♪)
例えば私が、自らの我儘(自分だけに通用する価値観【小義】)ではなく、
その相手や世の中全体の利益・ためを思い・・・
つまり【大義】に基づいて、
「こうするべきなのではないではないでしょうか?」と
誰かにアドバイスをしたとしても、
肝心の相手が、自らだけに通用する道義
【小義、我儘、自己中心的な思考形態】に執着しておりますと、
私のアドバイスは受け入れられることはなく、
人によってタイムラグはあっても
やがて自滅・自殺するか、
周り(他者や時代)によって潰される他殺されるかどちらかになり、
存在自体がこの娑婆から抹消されて逝くかと思われます。
自然(真理)による人間の淘汰(裁き)は、
人間の裁きよりも間違いがなく的確、そして容赦なく厳しいようですね。
私からしましたら
「わざわざ、その人のためにと思って、
自らの時間とエネルギーを使い、アドバイスしたのに、
なんで反発されたり無視されなアカンねん。
コイツは一旦地獄に堕ちないと、物事の道理(真理)はワカランな!」とつい、
相手の幸福を“祈祷”するのではなく、“呪術”をかけてしまいます?(^^;笑)
人それぞれ「幸せのカタチ」は違いますが、
我々人間は「幸せになる」ために日々生きて・精進しています。
真に幸せになるためには、
自らの価値観(我儘、小義)から抜け出し、
【大義の宇宙】に生きなければならないかと思います。
そのあたりの幸福への道・真理が、
ごっそり抜けている人間が歩む・・・
幸福の道のように見せかけて
実は【我儘の道】である、その先には、
実態のない雲のような儚き幸福まがいのものがあるだけで、
実際あるのは【滅】しかありません。
我々は「かん(神)ながら」に生きることが、
常に求められている・・・
そのように日々、感じております。