いつも明るく爽やかで景気のいい“綺麗事”話しばかりを
周りの人たちに発信する人間には【まがい物】が多い。
本物(の“純金”)ではなく、純金色をしたメッキを、
自らの意思で自らを覆い隠しているのである。
古今東西、娑婆人間の法則として、
まがい物は本物よりも、本物らしく見えるように装っている。
それは何故か?
まがい物・・・
つまり偽物だとバレないようにする為に他ならない。
一方本物は、まがい物に比べて本物っぽく見えない場合もあるが、
これは本物は本物に他ならないので、
わざわざまがい物のように努力しなくても、
“ありのまま”でいい訳である。
まがい物を静かに観察すると
【まがい物の共通点】が観得て来る。
例えば、まがい物は無意識的また自覚(意図的)症状もある場合もあるが、
己自身に自信がなく、不信感が強い。
また、欲が強い。【もっと欲しい】と底なし欲のアリ地獄に堕ちている。
更に不安感が大きい。
「本当の自分をさらけ出したらみんなから嫌われるのが怖い」
「みんなが持ってるものを持ち、みんながやっていることをやらなければ、
置いてけぼりになりそうで怖い」など。
以上のように【まがい物】は
多種多様なマイナス(陰気な)感情に強く囚われ、
自己の感情に溺れ、
自己中心的思考に凝り固まってしまっているようである。
雲のような実態が掴めないものに心が囚われ、
それにより自身の手により人間関係(他者)を崩壊させたり、自滅している。
それを他人や社会、時代のせいにし、
自己反省や懺悔がなく、自己改善がなくドツボにはまって・・・逝く。
【まがい物】が発信する言葉・文章は「おかげさまで儲かっています」と
記載されていても「こんなに頑張ってるのに全然儲かってません。
社会情勢が悪過ぎ、いつも歎いています」と
私の“感性”は受け取ります。
見た目・姿形は騙せても、瞳の奥→心までは隠せないのです。
身なりは高級ブランドの服をまとい、顔は笑顔であっても、
瞳の奥は、不信感に満ち、色欲に満ち、不安感に満ちている。
瞳の奥は心という名の“宇宙”と繋がっており、
その人間の心が観得ます。
だから瞳は【心を映す鏡】であります。
上記まがい物人間は「心は目に見えないものだから、
いつも身なりをちゃんとして明るく笑顔でいれば騙せる」と思い込んでますが、
この娑婆では、目に見えないものであっても、
【気】というエネルギー体として、
人間の様々な感情は存在し、
視覚等の五感以外の感覚(超感覚、霊性)で把握することが出来ますので、
まがい物は笑っていても何をしても、
どこか影があり陰気さが漂っています。
私の場合は霊性の感性度合いが中途半端なので、
自らの霊性(右脳)である程度推測をしてから、
次に左脳と身体を使い、自らの霊性の判断が正しいかどうか、
情報収集しにあちこちに出向いたり調べたりして、最終判断を行います。
人間の【気】は大きく分けて6つに分類されると
私は勝手に思っていまして(笑)、
私はそれぞれ5段階評価をし、
その人物の全体像(心の状態)を把握しています。
更にそれら5段階の平均点をはじき出し「1」は
その人間の前から逃げるもしくは自らで消しにかかる。
「2」は常に距離を取り、自分からは近らない。
「3」は可もなく不可もなくで放置。
「4」は常に近寄れる距離に自らの意思でいておく。
そして「5」は、自らが率先してガンガン近寄っていく…というものです。
私の場合、この6つの気の各5段階評価を考えついたのは、
独身男性の見極め方です(笑)。
過去様々な独身男性とうっすら関わって参りましたが、
何故未だ素敵な独身男性と出会わないんやろ?
そもそも【私が思う“素敵の定義”とは何か?】と
私は長年考察を続けて来た結果、
私は独身男性の見た目や収入ではなく、
その男性が持つ【6つの気】の有無にこだわり、
この人はまあまあ・絶対アカン!とか判断し
削除して来たのだということに最近気づきました(笑)。
最近は独身男性だけでなく、人間全体に応用し、
自らの物事を正しく見極めることだ出来る能力を
【行】により磨き高めながら、
まがい物は自らの身辺から徹底的に廃除し、
本物の方、もしくはメッキから本物になりたいと
心の底から手を合わせ思う人としかお付き合いやお手伝いをしないと、
心に固く誓いました。
人生は長いようで短いです。
いつ終わるか分からない限られた時間だからこそ
私は全てにおいて収拾選択を徹底し、
自らの気(エネルギー)を削ぐ人間や組織場所時間には
関わらないと決めており、
その選択と集中度合いを目前に迫る40代以降は
更に強化して参る所存です(^人^)☆