ご縁あって9月28日(水)夜、
“夫婦善哉”で有名な法善寺横丁にある、
法善寺(http://houzenji.jp/)に行きました。
ちょうど雨上がりで、
【美の表現者】である芸術家魂をくすぐられる・・・
映画を撮りたくなるような、
浪花の商人たちが歴史と共に紡いで来た
美しい風景がそこにありました。
行き交う人々を静かに観察しておりますと、
外国人観光客から、仕事帰りのサラリーマン達、
そして訳ありカップルまで多種多様な“登場人物”が
現れては消えてゆきました。
映画のキャスティングには困りませんネ(笑)♪
そんな都会のド真ん中に、
修験道の総本山である大峯の行者達が颯爽と登場し、
大峯界隈で聞く法螺貝&手錫杖を
バンバン鳴らし“護摩焚き”が始まりました。
法善寺には苔むされた【不動明王】が奉られており、
毎月28日は「お不動さんの日」ということで、
このようなことをされておられます。
普段は人里離れた霊峰でお見かけする修験者(行者)たちが、
都会に存在するのはかなりの違和感があると思いきや、
法善寺横丁の風景に同化しており、
それがめちゃくちゃ新鮮で新たな発見でした(^O^)☆
本来、修験者は出家制度はなく、
里(在家)の人間であります。
ですので肉を食べ酒を飲み、妻帯もします。
日常生活の合間に山(霊峰)に入り、真理真実を掴み(悟り)、
その悟りを持って里に帰り、衆生を救い高めてゆきます。
きっと昔の日本では、いたる里(人が生活する村々)で、
修験者たちがこんな感じで
自然に存在していたのだと感じました。
それが時の権力者たちや
“歴史のふるい”にかけられて、どんどん減少し、
今では都会では修験者たちを見ることはなく、
霊峰のみにかろうじて生息しているんやなと感じました。
そうなりますと、
未だ修理者が存在する法善寺さんはいかに凄いか!
と私は深い感銘を受けました。
私は法善寺さんに対して
【本来あるべきお寺の姿】を観ました。
浪花の商人たちや多様多様な旅人たちの
喜怒哀楽(念)に寄り添い、時に優しく時に厳しく、
愛と信仰によって受け容れ続けてて来られたのだと感じました。
法善寺のその法要にて、
信心深く手を合わせる都会の方々の横顔を見ながら、
私は遥か彼方の遠い過去から紡いで来られた歴史
〜無限の人間の【念の蓄積】〜を観、心の芯が奮え・・・
そして未来の行く末【あり方】が
観得たような手応えをチョット感じました。
本当によいご縁を頂きました。
ありがとうございました(-人-)☆