マドリッド(チャマルティン駅前)で一泊した後、
翌日昼に、電車で15分くらいのところにある
マドリッド空港に行きました。
ここで三大苦難の3つ目が起こりました。
私は自宅から、10年間、四国遍路で愛用していた、
木製の『金剛杖』を持って行きました。
行きも持って行けたのだから、
帰りも持って帰れるだろうと思い込んでいました。
ところが、スペインのイベリア航空のチェックインカウンターで
「この杖は機内持ち込みも、手荷物預かりも出来ません」と
突っぱねられてしまいました。
機内持ち込みすると、あなたはテロリストとして警察に捕まります。
手荷物預かりにすると、ベルトコンベアーに引っかかりますのでダメです。
という理由です。
現在も常に欧米諸国ではテロが起こっています。
日本よりもセキュリティが厳しいのは十分承知しています。
だけど、この私の10年の重みがある・
私の信仰の象徴物である『金剛杖』が、
「ただの古い棒」「テロリストの道具」
「ベルトコンベアーの故障の原因になる邪魔な物」
だという烙印をあっさり押され、
私のことを完全に【ややこしい問題を持ち込んだ面倒くさい客】
という態度で接しられたことが、何とも言えない憤りを感じました。
言葉が分からなくても、
相手がどんな感情を持って私に接したかどうかは理解出来ます。
私はこの出来事で、本当に多くのことが分かりました。
まず、異教徒である(全く違う価値観を持つ)
人間を理解するのは容易ではないということです。
イスラムの人等人たちが、
このキリスト教の人間たちに怒り心頭するのも、
この出来事で理解出来ました。
自分がされれば、それに気づくものです。
大航海時代という美名を捏造し、
その影で搾取・虐殺・差別を500年間し尽して来たキリスト教徒が、
異教徒・異民族の宗教や文化・歴史を理解しようとも思わないでしょう。
もしも同じ仏教・真言密教を知る&価値観を共有出来る人間であれば、
いくらこの杖をこの場で捨てなければならない状況であっても理解し、
同情してくださるでしょう。
血も涙もないとはこのようなことを言うのか・・・という心境になりました。
私はこのことがあって感情的になり、
「二度とスペインには行かない」とまで思いました。
・・・が、ガリシアの神様は、また別の出会いを
私に用意して下さっていました(笑)。
失意のうちに、マドリッドを後にし、
ロンドンのヒースロー空港に着きました。
ここでJALに乗りかえです。
イベリア航空機を降りた後、てくてく歩いていますと、
後ろから同世代のスペイン人カップルに英語で声をかけられました。
「日本人ですよね?」って話しかけられ、なんで分かるの?
って感じでしたが、
私のリュックサックに、日本の神社のお守りをつけていたので、
それで分かったのか、それとも
手に持っていたパスポートで分かったのかも知れません。
その次に、
「スペイン巡礼行かれたのですか?」って、
これまたリュックに巡礼の目印「ホタテ貝」をつけていたので、
それで分かったのだと思います。
「はい。5日間。サリアから100キロ歩きました」と言いますと、
「凄い〜〜!」って言われました。
で、最後に言われたこと・・・
「僕達去年、日本に行ったんだ〜!
北海道に沖縄に・・・。本当に日本は美しい。また行きたいよ〜! じゃーね!」と、
私は右折し、
スペイン人カップルは真っ直ぐ行って颯爽と去って行かれました。
私は、なんだかめちゃくちゃ嬉しくなり、ウルウルし・・・
「スペイン、絶対また来よう。私のこと・日本人のこと、
ちゃんと分かってくれるいい人もたくさんいるんや。」って分かりました。
マドリッドの空港で金剛杖を置いて来た後、
私の旅のサポーター・柴田さんと、メールでやり取りをしていました。
柴田さん曰く
「行きしなは杖持って来れて、帰りで没収・・・ってことは、
【持って行く必要があって、ちゃんと使って、
使い終わった後、もう必要じゃなくなった・
その杖のお役目は終わったってことだから、
こうなったんじゃないですか?】って言われ、
私はハッ☆としました。
そ、そうかぁ。。。☆
そうやんなぁ!って気づきました。
いつまでも使い、どんどん短くなって行く・・・
10年間使い古して来た【過去・経験】にしがみつくのは止めて・潔く捨てて、
新しい杖【未来】に生きなさい・・・と
【お大師さん】から教えて頂いたような気がいたしました。
私には2年前、公認先達になった時に頂いた、
朱色&錫杖つきの、真新しい金剛杖を既に持っています。
だからもう古い杖は要らないということなんでしょう。
過去の経験やキャリアは潔く捨てて、心機一転、新米先達として、
また新たなる遍路人生を謙虚に歩んで参りたいと、
改めて、決意させていただいた次第です。
潔く捨てて、得られた、何とも清々しい・・・
正に、ガリシアの空のような心境になりました。
イベリア航空のみなさま、悪者扱いしてすいませんでした(ー人ー)笑☆
———————————-
・・・そんなかんだで、ヒースロー空港でターミナル移動をし、
視界にJALの赤い鶴丸のロゴが見えた瞬間・・・
「嗚呼、無事に日本帰って来た。。。!」と、
(※実際はまだ帰ってませんが、私の魂は既に帰国した気分になりました・笑)
涙があふれて来ました。。。
この瞬間を思い出す度に、涙腺が緩みます(笑)。
肩の荷が降りるという日本語が、ぴったりな瞬間です。
今まで日本人・日本語ゼロの環境にいて、
いくら「私は日本人やから、みんな言っていることが
理解出来ないのが当たり前」だと開き直っていても、
やっぱり心のどこかで不安が消えませんでしたし、
リラックス出来ませんでした。
だけど、鶴丸の側に集まる多くの日本人が話す言葉が
全部理解出来る環境に戻って来て、
「何と、人が言っている言葉が理解出来るということが、
有難いことなのか!!?」と、
一人こっそり、涙を流していました。。。
かなり大げさな表現ですが、
私にとって【ノアの方舟】とは、正に、この鶴丸の飛行機でした。
サンティアゴ・デ・コンポステーラ教会に着いた瞬間の感動とは、
桁違いの・また全く別物の感動が在りました。
だから、私にとっての今回の巡礼旅は、
【鶴丸の背中から降りてから、そしてまた鶴丸の背中に乗るまでの間】でした。
普段、日本人・日本語の中で暮らしていて、
「当たり前だ」と何とも思わなかった、日本人であることの有難さ・・・
スペインに滞在していた日本人・日本語ゼロの環境を経て、
しみじみと今、かみしめています。
これから、当然のことながら、
英語力を高めたいと痛感したのも当然事実ですが、
全世界の真の共通語である、
「ボディーランゲージ(body language)。
肉体の動作を利用した非言語コミュニケーション能力」を
高めたいと思うようになりました。
同じ日本人同士で言葉は通じ合っても、誤解が生じることもあります。
今まで言葉というものを軽く見すぎていました、
深く反省しています。
だから、自らの母国語である日本語も
もっと奥深く話せるようになりたいと思いました。
そしてやはり、今回の旅は、自分の実力・器を超えた旅でした。
冒頭にも記載させて頂きましたが、自分一人では、
企画から遂行まで絶対に不可能でした。
自分が持っていない無いありとあらゆる能力・知識・経験・情報を
持っている人のサポートをいかに得るか?ということが、
自分の願望を結実成就させて行くために非常に重要か?
身を持って体験させていただきました。
3年前、外国人であるエミリさんが、
基本的な日本語が出来ると言えども、
異国の地で数ヶ月間、四国遍路のドキュメンタリー映画を撮影され、
もしも、四国遍路に詳しい私が自分の自動車と共に、
全面的にサポートしていなかったら、
どうなっていただろうか?と想像してみると、
私自身も柴田さんやエミリさんのように
人のサポートが出来る能力を持っていることに気づく次第です。
これからの人生、こんな感じで、
人様の能力をお借りし、自分の人生をあらゆる方面で
実現して行くのと同時進行で、
自分が持っているあらゆる能力を惜しみなく、
人様にお貸しし、
共尊共生出来る人生を歩んで行きたいと強く感じました。
・・・そして最後に、今回の旅で一番学んだこと・
ガリシアの大自然が教えてくれたことは
「それが【正しい・正しくないか】・・・ではなく、
【自然か不自然か】」という物事の判断基準です。
私は今まで、真理真実とは「正しいこと」であると認識していました。
だから、正しくないことをしている自他を随分責めて参りました。
だけど、それは一概に真理真実とは言えないな・・・と
教えてくれました。
例えば、子どもが万引きしています。
これって「正しくないこと」ですよね。
だけど、それって、その子からすれば「自然なこと」なんですよね。
家庭の貧困や親の教育の不備(因果)があり、
万引きという行為をする訳です(応報)。
これって、川の水が上から下に流れるのと同じではないでしょうか?
で、そこで周りの大人達が、その子をとっ捕まえるか何かをして、
「万引きはしてはいけませんよ」と諭してあげます。
子どもはそれで改心し(因果)、反省して
二度と万引きをしない犯罪を起こさない
大人になって行きます(応報)。
人間は徳と罪両方を持っています。
徳だけ・罪だけという人間は存在しません。
その比率は人それぞれ違いますが。
ですので、人間の徳も罪も自然なんです。
つまり「ありのまま」。
後は、その人その人が何をどう気づいて、どう努力して、
人生の駒を進めて行くか?
それだけであります。
その人にとって、自然な流れであれば、それいいんです。
間違った流れであれば、必ずその人に苦難が来ます。
その苦難が来て、反省し改心すれば苦難が来なくなって、幸福が来ます。
その人にとって自然であります。
逆に、どれだけ苦難が来ても、「これでええねん」と何も変えなければ
更に苦難が襲って来ます。それで人生が潰れても命を落しても、
その人にとっては、自然であります。
他人がどうこう言う問題ではありません。
他人の言動は変えれません。
変えようとするのは不自然なことであります。
変えれるのは、自分自身のみであります。
例えば、AさんがBさんに
「あなたはこうこうした方が絶対に幸せになれるわよ」と
アドバイスしたとします。
Bさんは「Aさんから言われたことは、全くその通りだ。
その通りにしよう!」と決意し、
その通りにした結果、幸せになりました。
一見、AさんがBさんを変えたと思いがちですが、そうではありません。
Bさんが「変わろう」と決意し、実践したからそうなったのです。
AさんはBさんに変わるきっかけを与えたに過ぎません。
結局私達人間は日々、自らの個性・価値観を元に
取捨選択して行きています。
その個性や価値観がどうであれ、
全て過去から繋がる因果応報であり、自然な流れであります。
人間は大自然の一部。何らかの過去があるから、
何らかの今があります。全て流れであり、
すべて「あるがまま」に存在しています。
どのようなかたちの「ありがまま」になりたいか?が、
人生の重要な羅針盤となるようです。
ガリシアの大自然は、きっと大航海時代の前から
同じ風景なんだと思います。
人も動物も植物も・・・全部変わらない。
だから穢れもなく、常に美しい。
どんな人でも受け入れる愛に満ちた地上の桃源郷。
時間の流れがとてもゆっくり。
みんな無理していないし、無駄もないし(エコロジー)、自然体。
このガリシア的ライフスタイルはきっと、
日本の江戸時代もこんなんやったんだと思います。
これからの人生で、私も出来る限り、
このガリシア的生き方を追求して行きたい・具現化して行きたいと決意した
正に人生のターニングポイントとなる旅でもありました。
ガリシア的日本人を目指し、私はこれからの人生、生きて参ります。
この旅でお世話になりました、全てのみなさま、
ありがとうございました(ー人ー)☆