最近思うことがあります。
ある内容の相談をAさん・Bさん・Cさんと3人にしますと、
三者三様の解決策を提示されました。
私は余計・・・「どないしたもんかいな?」と考えました(笑)。
そこで気づいたことがあります。
【真実・・・天の答えは一つ】
にもかかわらず、何故人によって答えが違うのか?
それは・・・
ヒトとは、①感情的動物である。
ヒトとは、②主観的動物である。
ヒトとは、③自らへの利益誘導的動物である。
・・・ということではないかな・・・と(笑)。
ヒトは、お悩み相談だけではなく常に物事を
①感情的に捉える
②主観的に捉える
③自分にとっての利益(損か得か)を捉える
以上の思考形態を持って、
無意識&有意識的に判断し行動し続けているように感じます。
これを仏教用語で言いますと「煩悩」というやつでしょうか?(笑)
①感情的に捉えるとは、
例えば、今の自分がイライラしていたら、
普段イライラしないヒトやことに関しても
イライラしてしまい、
そのイライラという感情に心が支配されて、
真実とは別の判断や行動をしてしまい、
ドツボにはまる・失敗するという感じです。
②主観的に捉えるとは、
例えば、よく見かけるのですが、
幅の狭い道で仲のいい主婦同士が、
自転車を横に並べながらゆっくり運転しているのです。
その二人の主婦はおしゃべりに夢中で、
自転車のスピードはとてもゆっくりです。
そこに私が普通のスピードでやって来ます。
ところが、狭い道ですので、
私はその主婦二人を追い越せません。
仕方がないので、自転車のベルを鳴らします。
するとその主婦は慌てて縦列になって、
道を半分空けてくれるのです。
時には、私に対してイヤな顔されるヒトもいます。
つまり、自分だけ・自分の視野・視点でしか
人生を生きていないのです。
後ろにいるヒトが見えていない・
どうでもいいのです。
そんな心だからこそ、人間関係に悩み、
喫茶店とかで永遠と友達とかに
対立している相手のことをグチってる
ヒトにしかなれないのです。
そして③自分にとっての利益(損か得か)を捉えるですが、
これも自分さえよければという主観的な物事の観方です。
自分にとって得=人様にとっては損という
取った・取られた的思考・判断・行動をしていては
いつまで経っても、この世の中から
自分の周りから戦争・争いは無くなりません。
さりとて、何でもかんでもヒトに与えてしまうと、
自分が生きていけません。
そこはTPOに合わせて、臨機応変に損得のバランスを
自他で取って調和を図って行くことが・・・
物事を大局的に観、客観的に観ることが
この人生(娑婆)においては必要不可欠
なのではないでしょうか。
冷静沈着にその時々の感情に囚われない、
客観的且つ大局的に観、
そして自他の利益の最適化を常に考慮しながら、
【真実】を見極め、それを元に
賢く生きていきたいと思っています。