2月3日・4日、
山形県米沢市に行って来ました。
そのご報告をさせて頂きます。
ずっと行きたいと思っていて、
やっと行くことが出来ました!
米沢=上杉家と言えば、上杉謙信、
上杉景勝(かげかつ)&直江兼続(なおえかねつぐ)、
そして上杉鷹山(ようざん)が有名な歴史上の人物です。
事前に旧米沢藩について、
司馬遼太郎先生の本などで予習をし、
現地では米沢市上杉博物館
(http://www.denkoku-no-mori.yonezawa.yamagata.jp/top.htm)や
観光歴史ボランティアの方からいろいろ教えて頂き、
上記歴史的偉人から現在にも通じる
様々なことを学ぶことが出来ました。
![](/img/u43837/FI3998895_0E.jpg)
まず上杉謙信は、元々越後(新潟)の戦国武将で、
次男坊なので父親の家督を継ぐ予定ではなく、
幼少の頃より仏門に入れられていました。
が、軍才もあり軍法も自発的に学んでいたそうです。
本来兄が継ぐはずだった上杉家を、
兄が病弱でまた武将としての器がない
ということで謙信が呼び戻され、
家督を継ぐことになったとのことです。
謙信は仏(とりわけ真言密教)の教えを頑なに守り、
妻を娶り女を囲うこともなく(=養子を迎えた)、
また戦場でも武将の格好ではなく、僧の格好をし、
武神【毘沙門天】を畏敬崇拝し、
国土を拡大するのではなく、越後の民のために、
領地の防衛に専念し尽くした人生だったそうです。
![](/img/u43837/FI3998895_1E.jpg)
敵将・武田信玄に塩を送った話が有名ですよね。
戦国時代でありながら、真の仏法に生き、
実践を貫いた物凄い偉人であったんやと、
私は深く感動し、
毘沙門天と一体化した謙信に畏敬の念を
抱くようになりました(ま、高値で塩を売りつけて、
ガッポリ儲けようという商才アリの
謙信という見方もありますが・笑)。
49歳の時、突如脳出血で死んでしまった
謙信の後を継ぐことになった息子(養子)・景勝は、
謙信の右腕であった超有能な家臣・
直江兼続(景勝と同世代)と共に、
越後の国づくりを続けて行きます。
この直江兼続が主人公のNHK大河ドラマ
【天地人】(2009)が有名ですよね。
![](/img/u43837/FI3998895_2E.jpg)
直江兼続と同じ歳で、豊臣秀吉の右腕だった石田三成とは、
【利】ばかりを追求する武将・武士が多い戦国時代にあって、
【義】を重んじる聡明なナンバー2同士、
意気投合します。
石田三成は豊臣秀吉に、
上杉家を会津若松に転封(てんぽう)し、
増封させるよう奨め、実際そのようになります。
石田三成は豊臣秀吉の後、
政権を取ろうと目論む徳川家康を憎み、
「会津若松と大坂とで挟み打ちして家康をやっつけよう!」
と固く契りを交わしますが、
1600年、関ヶ原の合戦であっけなく
石田三成が負け、処刑されてしまいます。
「このままでは、上杉家は取り潰しになってしまう!」
直江兼続は、家康の右腕だった本多正信に近づき、
正信の次男を自らの跡取りとする等、様々な策略をし、
上杉家取り潰しを逃れます。
また、家康自身も棚ぼた的に政権を握り、
上杉家以外にも敵(外様大名)が多かったので、
上杉家の処分を減封(げんぽう)のみに留め、
会津若松から米沢へと縮小(減封)させるに留めました。
本来であれば、
家臣である兼続に全責任を押し付けて首を刎ね、
家康に許しを乞えば、減封も免れたかも知れませんが、
景勝は兼続に全面的な信頼を置いていたので、
処罰するどころか、減封された中でも
多くの石(こく。領地)を与えたとのこと。
一方で兼続は自らの子供全員が早死したこともあり、
あえて養子を取らず、【絶家】することを決め、
自らの死後、その石を上杉家に返上しました。
それで少しでも上杉家の財政が楽になればいいと思う・・・
上杉家に対する忠義の覚悟です。
直江家が絶家した後は、直江家の家臣「与板衆」
(直江家は越後の国・与板より転封して来た)が、
今でも直江家の供養を続けておられます。
何とも言えない武将と家臣との強い絆・愛を感じます。
感動です。。。
![](/img/u43837/FI3998895_3E.jpg)
・・・上杉謙信以来、越後から会津若松経由で
米沢にやって来た家臣・武士の数は膨大で、
それが米沢藩の財政を圧迫していきました。
時は江戸中期、米沢藩9代目藩主・上杉鷹山が登場し、
膨大な借金を抱え、破産&取り潰し寸前だった
米沢藩の立て直しにかかります。
米沢市民の方々が最も尊敬し感謝しているのが、
この上杉鷹山です。
「鷹山が改革をしなければ、今の米沢はない」からです。
いつの時代も質素倹約をしながら改革を断行するのは、
猛烈な抵抗勢力が存在し、
また自然の猛威(冷害や凶作)も襲いなかなか進みません。
が、鷹山がこの世を去る時には
藩の借金はほほゼロになっていたとのことです。
時が流れ、アメリカのケネディ大統領が就任した際、
日本の記者が「日本で最も尊敬する政治家はだれですか?」と尋ねた時、
「上杉鷹山です」と答え、
鷹山が一躍有名になりました
(http://bizgate.nikkei.co.jp/article/106783814.html)。
私は1998年NHKでやっていたドラマ(筒井道隆主演)
『上杉鷹山(ようざん)二百年前の行政改革』で
鷹山のことを知りました。
こんな感じで、学校の歴史の時間では決して教えてくれない、
感動的な人間愛、組織運営・・・歴史を貫徹する、
人間としてのあるべき姿や、ゆくべき道が、
全てこの【歴史】というものの中にあるということです。
「賢者は歴史(古今東西・他者の経験)から学び、
愚者は(自分だけの)経験から学ぶ」
ということで来月は、
“訳あって最後まで徳川家に味方していた藩の
歴史探訪シリーズ第二弾”として、
新潟・長岡藩、福島・会津若松藩、宮城・仙台藩に参ります。
今年は明治維新から150年という節目の年であり、
薩摩長州が作った(=薩長の都合の良いことしか知らされていない・
時に虚実も紛れ込んだ歴史)明治という時代を【敗者側】から観、
“この国のかたち【真実】”を知り、
それを我々の未来に活かして参りたいと思っています。
『為せば成る 為さねば成らぬ何事も
成らぬは人の為さぬなりけり』
「やればできる。やらなければできない。
何事もできないのは、人がやらないからだ」 (上杉鷹山)
義(人生において【天の理】を貫く、具現化する、その有様)と
愛(人間愛、万物を愛し慈しむ)で以って、
徳ある人生を着実に歩みたいと感じた、
米沢歴史探訪でした。
ありがとうございました(ー人ー)☆
【写真】
上杉謙信・上杉鷹山公 銅像
上杉神社(入口には毘沙門天【毘】と不動明王の【龍】)
![](/img/u43837/FI3998895_4E.jpg)