2月3日・4日、
山形県米沢市に行って来ました。
そのご報告をさせて頂きます。
ずっと行きたいと思っていて、
やっと行くことが出来ました!
米沢=上杉家と言えば、上杉謙信、
上杉景勝(かげかつ)&直江兼続(なおえかねつぐ)、
そして上杉鷹山(ようざん)が有名な歴史上の人物です。
事前に旧米沢藩について、
司馬遼太郎先生の本などで予習をし、
現地では米沢市上杉博物館
(http://www.denkoku-no-mori.yonezawa.yamagata.jp/top.htm)や
観光歴史ボランティアの方からいろいろ教えて頂き、
上記歴史的偉人から現在にも通じる
様々なことを学ぶことが出来ました。
まず上杉謙信は、元々越後(新潟)の戦国武将で、
次男坊なので父親の家督を継ぐ予定ではなく、
幼少の頃より仏門に入れられていました。
が、軍才もあり軍法も自発的に学んでいたそうです。
本来兄が継ぐはずだった上杉家を、
兄が病弱でまた武将としての器がない
ということで謙信が呼び戻され、
家督を継ぐことになったとのことです。
謙信は仏(とりわけ真言密教)の教えを頑なに守り、
妻を娶り女を囲うこともなく(=養子を迎えた)、
また戦場でも武将の格好ではなく、僧の格好をし、
武神【毘沙門天】を畏敬崇拝し、
国土を拡大するのではなく、越後の民のために、
領地の防衛に専念し尽くした人生だったそうです。
敵将・武田信玄に塩を送った話が有名ですよね。
戦国時代でありながら、真の仏法に生き、
実践を貫いた物凄い偉人であったんやと、
私は深く感動し、
毘沙門天と一体化した謙信に畏敬の念を
抱くようになりました(ま、高値で塩を売りつけて、
ガッポリ儲けようという商才アリの
謙信という見方もありますが・笑)。
49歳の時、突如脳出血で死んでしまった
謙信の後を継ぐことになった息子(養子)・景勝は、
謙信の右腕であった超有能な家臣・
直江兼続(景勝と同世代)と共に、
越後の国づくりを続けて行きます。
この直江兼続が主人公のNHK大河ドラマ
【天地人】(2009)が有名ですよね。
直江兼続と同じ歳で、豊臣秀吉の右腕だった石田三成とは、
【利】ばかりを追求する武将・武士が多い戦国時代にあって、
【義】を重んじる聡明なナンバー2同士、
意気投合します。
石田三成は豊臣秀吉に、
上杉家を会津若松に転封(てんぽう)し、
増封させるよう奨め、実際そのようになります。
石田三成は豊臣秀吉の後、
政権を取ろうと目論む徳川家康を憎み、
「会津若松と大坂とで挟み打ちして家康をやっつけよう!」
と固く契りを交わしますが、
1600年、関ヶ原の合戦であっけなく
石田三成が負け、処刑されてしまいます。
「このままでは、上杉家は取り潰しになってしまう!」
直江兼続は、家康の右腕だった本多正信に近づき、
正信の次男を自らの跡取りとする等、様々な策略をし、
上杉家取り潰しを逃れます。
また、家康自身も棚ぼた的に政権を握り、
上杉家以外にも敵(外様大名)が多かったので、
上杉家の処分を減封(げんぽう)のみに留め、
会津若松から米沢へと縮小(減封)させるに留めました。
本来であれば、
家臣である兼続に全責任を押し付けて首を刎ね、
家康に許しを乞えば、減封も免れたかも知れませんが、
景勝は兼続に全面的な信頼を置いていたので、
処罰するどころか、減封された中でも
多くの石(こく。領地)を与えたとのこと。
一方で兼続は自らの子供全員が早死したこともあり、
あえて養子を取らず、【絶家】することを決め、
自らの死後、その石を上杉家に返上しました。
それで少しでも上杉家の財政が楽になればいいと思う・・・
上杉家に対する忠義の覚悟です。
直江家が絶家した後は、直江家の家臣「与板衆」
(直江家は越後の国・与板より転封して来た)が、
今でも直江家の供養を続けておられます。
何とも言えない武将と家臣との強い絆・愛を感じます。
感動です。。。
・・・上杉謙信以来、越後から会津若松経由で
米沢にやって来た家臣・武士の数は膨大で、
それが米沢藩の財政を圧迫していきました。
時は江戸中期、米沢藩9代目藩主・上杉鷹山が登場し、
膨大な借金を抱え、破産&取り潰し寸前だった
米沢藩の立て直しにかかります。
米沢市民の方々が最も尊敬し感謝しているのが、
この上杉鷹山です。
「鷹山が改革をしなければ、今の米沢はない」からです。
いつの時代も質素倹約をしながら改革を断行するのは、
猛烈な抵抗勢力が存在し、
また自然の猛威(冷害や凶作)も襲いなかなか進みません。
が、鷹山がこの世を去る時には
藩の借金はほほゼロになっていたとのことです。
時が流れ、アメリカのケネディ大統領が就任した際、
日本の記者が「日本で最も尊敬する政治家はだれですか?」と尋ねた時、
「上杉鷹山です」と答え、
鷹山が一躍有名になりました
(http://bizgate.nikkei.co.jp/article/106783814.html)。
私は1998年NHKでやっていたドラマ(筒井道隆主演)
『上杉鷹山(ようざん)二百年前の行政改革』で
鷹山のことを知りました。
こんな感じで、学校の歴史の時間では決して教えてくれない、
感動的な人間愛、組織運営・・・歴史を貫徹する、
人間としてのあるべき姿や、ゆくべき道が、
全てこの【歴史】というものの中にあるということです。
「賢者は歴史(古今東西・他者の経験)から学び、
愚者は(自分だけの)経験から学ぶ」
ということで来月は、
“訳あって最後まで徳川家に味方していた藩の
歴史探訪シリーズ第二弾”として、
新潟・長岡藩、福島・会津若松藩、宮城・仙台藩に参ります。
今年は明治維新から150年という節目の年であり、
薩摩長州が作った(=薩長の都合の良いことしか知らされていない・
時に虚実も紛れ込んだ歴史)明治という時代を【敗者側】から観、
“この国のかたち【真実】”を知り、
それを我々の未来に活かして参りたいと思っています。
『為せば成る 為さねば成らぬ何事も
成らぬは人の為さぬなりけり』
「やればできる。やらなければできない。
何事もできないのは、人がやらないからだ」 (上杉鷹山)
義(人生において【天の理】を貫く、具現化する、その有様)と
愛(人間愛、万物を愛し慈しむ)で以って、
徳ある人生を着実に歩みたいと感じた、
米沢歴史探訪でした。
ありがとうございました(ー人ー)☆
【写真】
上杉謙信・上杉鷹山公 銅像
上杉神社(入口には毘沙門天【毘】と不動明王の【龍】)