BSプレミアムで放送中の
「英雄たちの選択」(http://www4.nhk.or.jp/heroes/)
に最近ハマってます。
今日放送されたのは、
備中松山藩の山田方谷(やまだ ほうこく
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E7%94%B0%E6%96%B9%E8%B0%B7 )
のお話し。これまた感涙ものでした。。。
私の母方の祖母の先祖は代々備中松山藩
(現・岡山県高梁市)の農家でしたので、
私の先祖は方谷先生の政治的な恩恵や、
塾生としての恩恵を受けていたのだと思います。
2年前、日本商工会議所青年部の
全国大会で岡山に行った時、
備中松山城を始めとする、
高梁探訪をする分科会に参加したことがあり、
そこで方谷先生のことを知りました。
我ながら、武士の格好がものすごく
お似合いだと自負しておりマス(1枚目の写真)♪
その後、司馬遼太郎先生の『峠』という小説を読み、
『峠』の主人公である、
越後長岡藩家老・河井継之助の師匠が
この方谷先生だと知り、
ますます方谷先生が好きになりました。
今週末、念願だった旧長岡藩(新潟県長岡市)に
旅しに行けることになり今、
テンションMAXでございます〜(^0^)♪
・・・江戸時代後期、
備中松山藩(5万石。山間の小藩)は、
事実上財政破綻をしていました。
農民の出でしたが、幼少より聡明だった方谷先生は、
20歳で士分に取立てられ、
藩校の筆頭教授に任命されました。
備中松山藩藩主だった板倉勝静(かつきよ)に懇願され、
大抜擢されて藩政改革を断行します。
忠義そうに見えて、
実は武士の意地やプライドばっかり状態だった、
最悪な藩政をたった7年程で立て直し、
一足先に殖産興業(現代でも使われている
「備中鍬」も方谷先生発明&備中高梁のオリジナル商品です)
&富国強兵(「刀による戦い」に固執する
武士に代わって農兵制を導入し、
長州藩で有名な奇兵隊よりも6年早く、
農民&最新の鉄砲による兵隊組織づくり)を行います。
が、幕末の動乱期、「徳川幕府はもうアカン」と
知り抜いていた方谷先生は、
新政府軍の命令で攻めにやって来た岡山藩とうまく折衝し、
無血開城し、徳川慶喜の老中をしていた藩主・板倉勝静を、
あの手この手を使って戊辰戦争の最後の激戦地であった
函館から救い出し、
明治時代よりまた新たな人づくりを行います。
その手腕が評価され、明治政府より、
出仕して欲しいと何度も依頼が来たそうですが、
頑なに断り続け、自身は母親の実家である場所
(高梁・長瀬)で長瀬塾を開き、
後進の育成に専念される教育者の道を歩まれ、
静かに生涯を終えられます。
政権や社会的システムは時代と共に変わるけれど、
人間の本質的なことは変わることがなく・・・
真の豊かな国、真に豊かで幸せな人生とは?と考えた時に、
それは良き教育から全てが始まってゆく。。。
ということなんでしょう。
その長瀬塾の塾生は増えに増え、6棟まで増えたそうです。
方谷先生の無血開城と比べ、弟子である河井継之助は、
新政府軍に対して徹底抗戦し、北越戦争に突入、
長岡の町は火の海となり、それが引き金となって
継之助も死んでしまいます。
地元長岡の人たちの河井継之助への評価は
極めて良くなかったうですが、
司馬先生の『峠』が発表されてから再評価され、
記念館も出来たと聞いております。
その師匠と弟子の手腕の違いも改めて、
長岡を訪問した時に、じっくりと
またあれこれと検証してみたいなと思います。
【歴史】とは即ち、「過去この国・この地球で
生きていた全ての人の人生そのもの」だと私は認識しています。
ほんと、膨大な天文学的な知識・経験の量ですよね!
私は山田方谷先生や河井継之助が
生きていた時代には生きていませんので、
お二人に実際お会いすることが出来ません。
しかしながら今、【歴史】というものを通して、
お二人の様々なことを断片的且つ推測的部分も
多々ありますが、知ることが出来、
それを今を生きる私たちが活かすことが出来ます。
ですので、私は【歴史】というものを
自分なりにもっと掘り起こして、感謝感動し、
自分のこれからに生かして生きたいと考えております。
書籍やテレビを見るだけでも十分勉強になりますが、
やっぱり実際、その場所に生き、
歴史的偉人の【残り香】に
ちょっとでも触れてみたいです。
この「英雄たちの選択」・・・次週は、
怨念の天皇と呼ばれている「崇徳天皇」なんだそうで。。。
これまた楽しみです(>0<)☆