お四国へ・・・④「12番焼山寺にて」

私の父方の祖母が、およそ30年前、

バスにて2周、お遍路していました。

その時の写真を何枚か持っています。

私の父が、祖母が生きていた時に

「一番印象に残っている四国のお寺はどこ?」

と聞いた時、この焼山寺だと答えたそうで、

それで私が子どもの時、

家族旅行で一度このお寺に来たそうです。

(私はその時の記憶は無いんですが。。。)

おばあちゃんのお気に入りだったからか、

おばあちゃんが焼山寺の山門で

写っている写真があります。

焼山寺の山門前にある石の案内板の前、

右側に写っているのが私のおばあちゃんです。

この焼山寺に来る度に、特に強く、

おばあちゃんのことを思い出します。

実際は私が高校1年生の時、

亡くなりましたので、

一緒にお遍路に行ったことはありません。

時代を経て今、孫の私がここに立っている。。。

ほんとは、おばあちゃんと一緒にお参りしたかったなぁ。

私がお遍路に覚醒めるのが遅かったです。

それがちょっと後悔です。

今回、そこに立ってみて、

分かったんですよね

ああ

おばあちゃん(先祖)は、

お墓や仏壇、お四国とか巡拝道中にいるのではない

常に私と一緒にいるねんや

いうこと・・・を。

私がそのことに気づく・・・その感度が上がる程

真の信仰に覚醒める程に、そんなことが分かって来る

ちっぽけな私という人間が、無限に拡がり

なんと美しく尊い存在であるかということに気づかされる

見えない けど、常に存在する想念

エネルギーを通して全て【宇宙】が観得て来る

そんな神通力がとりわけ高くなるのが

お墓や仏壇、お四国と言った真の信仰の場所

聖域やパワースポットと呼ばれるような場所だったり

故人が愛していた場所だったりする

・・・ということを。

「おばあちゃん」という、

一つの御霊(みたま)を通して、

全ての先祖・ものと繋がり、

精一杯ご供養させて頂く、私。

全ての先祖、お遍路さん・・・

全てのみたまのご供養をして感じること、

それはやはり、私、

今を生きる人全員の幸せを

祈り続けて下さっているということ。

その先祖・故人からの念が、

私に【生命力】を与えて下さっている。

ほんと、「私が生きている」のではなく、

「全てに生かされている」ということなんでしょう。

そんなことに気づくと、

なぜか自然と涙があふれ落ちてきます。

私の涙のようで、そうではない、涙。

私のようで私でない、誰かの感動(想念)の涙。。。

だけど、やっぱり私かもしれない。

まさに【同行二人】のみたまの方々と歩む、

この人生遍路道。

言語化するのは非常に困難ですが、

奥深き命の、人生の秘め事であり、

重要なことをまた一つ知って、

深めることが出来た焼山寺でした。

やっぱり私も、この焼山寺が一番好きかもです(ー人ー)☆