私の父方の祖母が、およそ30年前、
バスにて2周、お遍路していました。
その時の写真を何枚か持っています。
私の父が、祖母が生きていた時に
「一番印象に残っている四国のお寺はどこ?」
と聞いた時、この焼山寺だと答えたそうで、
それで私が子どもの時、
家族旅行で一度このお寺に来たそうです。
(私はその時の記憶は無いんですが。。。)
![](/img/u43837/FI3999572_0E.jpg)
おばあちゃんのお気に入りだったからか、
おばあちゃんが焼山寺の山門で
写っている写真があります。
焼山寺の山門前にある石の案内板の前、
右側に写っているのが私のおばあちゃんです。
この焼山寺に来る度に、特に強く、
おばあちゃんのことを思い出します。
実際は私が高校1年生の時、
亡くなりましたので、
一緒にお遍路に行ったことはありません。
時代を経て今、孫の私がここに立っている。。。
ほんとは、おばあちゃんと一緒にお参りしたかったなぁ。
私がお遍路に覚醒めるのが遅かったです。
それがちょっと後悔です。
![](/img/u43837/FI3999572_1E.jpg)
今回、そこに立ってみて、
分かったんですよね
ああ
おばあちゃん(先祖)は、
お墓や仏壇、お四国とか巡拝道中にいるのではない
常に私と一緒にいるねんや
いうこと・・・を。
私がそのことに気づく・・・その感度が上がる程
真の信仰に覚醒める程に、そんなことが分かって来る
ちっぽけな私という人間が、無限に拡がり
なんと美しく尊い存在であるかということに気づかされる
![](/img/u43837/FI3999572_2E.jpg)
見えない けど、常に存在する想念
エネルギーを通して全て【宇宙】が観得て来る
そんな神通力がとりわけ高くなるのが
お墓や仏壇、お四国と言った真の信仰の場所
聖域やパワースポットと呼ばれるような場所だったり
故人が愛していた場所だったりする
・・・ということを。
![](/img/u43837/FI3999572_3E.jpg)
「おばあちゃん」という、
一つの御霊(みたま)を通して、
全ての先祖・ものと繋がり、
精一杯ご供養させて頂く、私。
全ての先祖、お遍路さん・・・
全てのみたまのご供養をして感じること、
それはやはり、私、
今を生きる人全員の幸せを
祈り続けて下さっているということ。
その先祖・故人からの念が、
私に【生命力】を与えて下さっている。
ほんと、「私が生きている」のではなく、
「全てに生かされている」ということなんでしょう。
そんなことに気づくと、
なぜか自然と涙があふれ落ちてきます。
私の涙のようで、そうではない、涙。
私のようで私でない、誰かの感動(想念)の涙。。。
だけど、やっぱり私かもしれない。
まさに【同行二人】のみたまの方々と歩む、
この人生遍路道。
言語化するのは非常に困難ですが、
奥深き命の、人生の秘め事であり、
重要なことをまた一つ知って、
深めることが出来た焼山寺でした。
やっぱり私も、この焼山寺が一番好きかもです(ー人ー)☆
![](/img/u43837/FI3999572_4E.jpg)