白嶽頂上で昼食を済まし、
お山を下りた後は、
対馬南部(厳原町豆酘)にあります
多久頭魂神社に行きました(^0^)♪
https://www.nagasaki-tabinet.com/guide/806/
この神社の主の御神体は、
古事記などの日本神話に
載っていない・関連していない、
対馬固有の信仰神である
「タクズダマ」なんだそうです。
その神を崇め奉るのが、【天道信仰】です。
そのタマ(魂)は龍良山(たてらさん)という、
豆酘の町の北東にあるお山のことです。
奈良の大神神社のように、
お山そのものが御神体です。
これぞ“古代信仰”「杜(もり)そのものが神」です。
対馬には古代信仰(古神道)が遺っています。
内地(本土)にはほぼすでに消えております。
それを一度、この目で観ておきたかったんです。
現在存在する、所謂「神社」という存在は、
過去の歴史的経緯や時代ごとの権力者や
民衆の影響で、“不純物”といいますか、
生き残るために【自然であること】から
遠ざかっている側面が一部にあり
(つまり、「不自然なもの」も混ざっているということ)、
本来の神という存在(本質的なもの)を、
ストレートに観るためには、かつて自然にあった・・・
権力者や民衆の各種罪の影響を受けていない、
縄文時代あたりの古い時代の神道を知った方がいいと、
司馬遼太郎先生の本などで
気づかせていただきました(ー人ー)☆
詳細はまた大阪に帰って、
更にあれこれ調べてから改めて
レポートしたいと思っています。
大昔の神社には社殿(建物)はなく、
お山などの御神体と祠と
鳥居しかなかったっぽいのですが、
時代の流れにより、多久頭魂神社にも、
現代の神社と同じような建物が出来ています。
だけど、古神道をにおわせる【何か】が
遺っているように感じました。
有史より人間は、「あれもこれも」と欲し、
どんどん追加してより多く所有してきました。
だけど、今は全く逆で
「出来る限り持たない・本当に必要なものしか持たない・
身辺は出来る限りシンプルに」と逆流している・・・
それが進化であり神化、
即ち真の幸福への道なのではないでしょうか。
かつての神社(神の社)が、
奉られるべき御神体と小さな祠、
鳥居だけであったように、
【余計なもの】をどんどん削いでいくべきなのでは?と、
「タクズダマ」が木漏れ日となって、
私に教えてくれているようでした(ー人ー)☆