仲良しの団塊の世代のご夫妻から
「よしこちゃんにどうしても、
私たちの遺影をつくってほしいねん」とご依頼を受け、
お気に入りだという、笑顔の写真データを頂き、
美しく画像修正などをし、現像させていただきました。
遺影に加えて既に、自分たちの遺品をどうするのか?
はたまたどこでどのようなお葬式を
されているかも決め、
既に娘さんに伝えておられるとのこと。
「一人娘を始め、誰にも面倒かけたくない」
「自分たちの思うような最期を迎え、旅立っていきたい」
などの想いがあってこそ・・・
この娑婆に遺す最期の【愛】でしょうか。
以前、四国遍路道で出会った別のご夫妻は
「今、それぞれの白衣に御朱印を押してもろてまして、
死んだらこれ着せてお棺に入れてもらいますねん」
とおっしゃってました。
数年後再会した時は
「今度は、亡骸(死んだ自分たち)の上にかぶせる
“お棺サイズのお布団”の御朱印を押して貰ってるねん。
白衣もお布団もバッチリ用意して、
あとはお迎えを待つだけですねん〜!」と
満面の笑みでおっしゃってはりました。
上記のご夫妻たちに共通することは、
「まだまだお迎えは来ませんな〜」
ということです(笑)♪
面白いもので、所謂“終活”をバッチリ準備し、
且つ心のどこかでそれを楽しんでおられる方程、
なかなかお迎えが来ない・死なないということです。
その【法則】はなんでかな?と
私なりに考えてみますと。。。
「終活をする」⇒
「自分はいつか死ぬという至極当たり前なことに気づく」。
「自分が自由に生きているのではなく、
大いなる存在に今、【生かされている】
という自覚を持つ」⇒「絶対的感謝に目覚める」
⇒「一日一日を前向きに、大切にしていきよう!と、
今あるものに幸福感を抱き、
今持っていないものに対する欲望が齎す
苦しみや恐怖が減る&無くなる」⇒
「病気&老いの原因である、ストレスやマイナス感情が減る」
⇒「心身の健康が維持出来、長生きする」。
こんな感じでしょうか?
一般的に高齢の方から順番に死んでいきますが、
時々番狂わせがあり、
いつ死ぬかは誰にも分かりません。
だからこそ、「年齢を重ねたから終活」
というスタンスよりも、
人間として生まれ出たからには、
常に終活「一日一生」的スタンスで、
日々感謝に生き、うじうじ悩んで歩を止め、
時間をムダにほかすのではなく、
今日すべきことは今日行い、
後悔のない人生を送るよう心がけた方が、
結局よい死に方が出来るし、
そしてよい生き方も出来るんやなぁ〜と、
完成したお二人の遺影を観ながら
かみしめております(^人^)☆
【写真】四国遍路写真♪(8番・熊谷寺)