以前から母に
「姉(私の叔母)のいる施設に連れて行って欲しい」
と言われていて、私の車に母を乗せ、
それがようやく実現出来ました。
戦中戦後の時代、また祖母があれこれあって、
叔母と母が一緒に暮らした時期はありません。
だけど姉妹そっくりで仲良しで、
母が持って行った昔の写真を見ながら歓談していました。
![](/img/u43837/FI4007041_0E.jpg)
叔母も母もだんだんと明確に老いておりますが、
笑顔で励まし合って過ごしている姿を
客観的に観ていて、
人生って日々いろんなことがあるけど、
やっぱり美しいものやなぁ・・・と観じました。
いろいろとあるからこそ、幸せが分かるのです。
24時間365日幸せな人は、
それが当たり前であり、幸せも不幸せも感じません。
「自分だけが不幸だ」「こんなに辛いから逃げたい・死にたい」
私はそんな人に、愛を込めて言います。
「自分を不幸だと言う人は一人の例外も無く不幸。
死にたいのであれば、死ねばいいです。
死んで本当に大切なことに気づいてください。
生き続けることの方が明らかに大変。
だけど、それを望んで今、ここにいるのではないでしょうか。」
生きたくても死んでしまった人の想い、
もっともっと不幸な人の想い、はたまた、
そんなどうしょうもない人であっても、
何とか人生を好転させようと絶大なサポートをしている
数々の目に観えない存在たちの想い・・・
そもそも、自分がそんな罪やカルマを持っていて、
それを解消し、真の幸福を得る為に今、
そこに生きているのでしょ!ということに
全く気づいていません。
自死すると、さらに苦しい現実が待っていることが、
分かっていません。我儘(無明)の真骨頂です。
人生=美である。
それが私の確信的結論です。
自分が幸せだと認識出来る人が全員幸せなんです。
で、その認識・意識が更に
多くの幸せをもたらしてくれるのです。
そこまで思えると、自分の幼少の頃の写真を観ても、
「よしこちゃんって、幸せのかたちそのもの」
だと思ってしまいます〜(^0^)愛☆
【写真】
母と叔母の後ろ姿と、
幼少期の母、兄・私・妹、別の叔母、
いとこ2人(叔母に抱かれた右端の子が私です。
![](/img/u43837/FI4007041_1E.jpg)