高野山に行くことになったついでに
(と言ってもめっちゃ大回りでしたが^^;)、
司馬遼太郎先生の『街道をゆく』を手に、
奈良県南部の秘境・十津川村
(http://totsukawa.info/)に行きました。
道路(国道168号線)拡張&トンネルたくさんで、
ずいぶん行きやすくなってました。
まずは道の駅十津川郷&村役場前
にある歴史民族資料館へ。
さすが陸の孤島だけあり、
十津川村の歴史はその地政学的影響を多分に受け、
めっちゃ面白い(^0^)!
修験者に幕末の志士「十津川郷士」・・・。
山ばかりでお米が採れないので、
武士の世はずっと年貢免除の地で、
権力者(の手先)がなかなかやって来れなかったため、
村の人たちが共和・合議制を取って来た
村の歴史は独特です。
だけど、悲しい歴史もあります。
まず、明治22年の大水害を始めとする多くの水害。
何年か前にもあったそうで、
その大小の爪痕があっちこっちにあります。
そして明治の廃仏毀釈により、
十津川は徹底的に仏教色が排除され、
未だお寺はぼぼない状態です
(歴史的に十津川村の人たちは、
歴代天皇に対する崇敬の念が強烈な土地柄。
村民全員が玉置神社の氏子さんなんだそうです)。
2年前、熊野古道・中辺路コースを
歩いた時からなんとな〜く“呼ばれている感”のあった
玉置神社(http://www.tamakijinja.or.jp/)。
この神社も元々は【玉置三所権現】と呼ばれ、
神仏習合型の修験者が集う場所でした。
未だその当時の名残をたっぷり遺してくださっており、
よしこちゃん、期待以上のステキな場所でした^^♪
ありがたいことに、訪問した日は梅雨の晴れ間で、
しかも道の駅の方が、玉置神社への最も行きやすい道
(道路幅の広い「新道」での行き方)を教えてくださり、
めっちゃスムーズに行くことが出来ました(=人=)☆
(道の駅から国道168号線を7キロくらい
南→西に行ったところにある、
平谷&猿飼という名前の集落にある
赤い橋を使って十津川を渡り、
山道をひたすら東方向・玉置山に向かう道)
その凄さ・美しさは、
写真を観て頂ければ一目瞭然っ(^0^)♪
ひょんなことでお話した玉置神社の宮司さん
オススメの【玉石社】は、更にすごかったです。
玉石=宝なんだそうです。
役行者が財宝を埋納されたと記載されていましたが、
その財宝はモノではなく
【叡智(のエネルギー)】であったと
私は勝手に推測しております。
モノは掘り起こし、そこから持ち去ったり、
使ってしまえば、
歴史の渦に消えて無くなってしまいますが、
【叡智】は自分の未来、
子々孫々までに消えること無く、
人々の心に遺っていく、
生きる上でとても大切なものだからです(^人^)☆