9月24日(火)。
日帰り&高速バスで四国・高松に行ってました。
おかげさまで淡路島から
美しい生駒山系の風景が見れました。
前日・23日に八尾の里山から見送った太陽が、
また東から昇って来て私にヒカリ(生きる力)を
与えてくれています。そして今もです。
先日の日記で「愛はただ与えるだけの存在」
と記しました。
太陽って、私たち万物に光〜ヒカリ〜を
与え続けてくれていますが、
「一日あたり2千円頂きます」とか
「疲れたので明日は昇って来ません」とか
「あの人は善人なんで与えますが、
この人は悪人なんで与えません」とか一切ありませんよね(笑)。
人間のように利害やわがまま・各種感情や偏り、
損得や善悪などの二元論では存在していません。
まさに大和(だいわ/やまと)の姿、そのもの。
そんな私たちに見返りを求めず与え続けている
大いなる存在に対してすべきことは
【感謝】なのではないでしょうか。
「あたりまえ」ではなくって「ありがとう」。
これは太陽に限らず、空気・大地・雨(水)や空気、
この地球にある、万物に愛(ヒカリ)を
与え続けてくれている大自然全てに
おいていえることではないでしょうか。
大自然・大宇宙に感謝することは、
その大いなる存在に自らが意識を合わせる・
自らの命と大自然の命が完全一体化していく・・・
ということに繋がり、
その意識(無意識か意識的にかは別として)が、
その人に【運〜うん〜】というものを
つけていくんだと観ています。
運を持つ人は、その人が思う通りの
時間の流れや人生を自然に具現化しています。
例え悪天候であってもその人の乗る電車や飛行機は
比較的スムーズに流れていきますし、
人間関係もジャマする人がおらず(少なく)、
必要な時に必要なものまた必要以上のものが
与えられスムーズに物事が流れていきます。
スムーズに行かない時は、
その人がよりよくなるための試練の時であり、
決して運が悪くなった訳ではありません。
より天を味方につけ、強運になるためのチャンス到来で、
ますます感謝する力も磨かれて行かれます。
逆に運がない人に共通することは、
その人自身(家族/家系、過去世含む)に
【徳】がないということです。
日々の生活・人生そのものが自己中心的な
意識・思考・判断、そして行動をしている割合が高い人です。
裏を返すと、大自然・大宇宙の信念(想い/願い)から完全に外れ、
わがまま好き勝手に浮遊している、完全自我状態の人間です。
宇宙全ての幸せを構築し続けている
大自然・大宇宙(絶対的な存在)と
意識合一が成されてないので、
ちょっとしたことでもあれよあれよと
大きなトラブルになって悩まされる、
人間関係がとにかくうまくいかない、
人とのまた自分との約束がひたすら守れず
どんどんストレスがたまり感情的になる、
天災や誰に何かを盗まれる等の
人災に遭い続けるなどと、
各種多次元災いの総合商社です(笑)。
運は“つけるもの”なので、運のある人の元に行けば、
ある程度はそれにあやかることも可能ですが、
逆に運のない人の元に行けば、運が奪われるので、
運のない人のところには誰も寄りつかないか、
より運の悪い人しか集まって来ません。
これは【宇宙〜波長〜の法則】です。
運やそれを構築している【徳】がある人間かどうかは、
目に観えないので分かりにくいのですが、
その人間の周りで起こっている現象や
人間関係を静かに観察すれば、おのずと観えて来ます。
以上のように、より幸せな人生を歩むためには
感謝する力(感性)を磨き高めつつ、
運をつけるべく、徳を高める
(自分の出来る範囲で喜んで他者に与える・施すという想いと行為)
をし続けて行くということなんだと思います。
ということで今日も一日、運を味方につけつつ
“あるがままに”にがんばりまーす(=人=)☆