「幸せになりたいのではなく、自分の好き勝手に生きたいだけ」

今年もマイ畑に彼岸花が咲き始めました。

すっかり秋ですね^^♪

「幸せになりたい」

人は日々、そう思って生きています。

だけど、そう願って日々生きていても、

そうなって行かない人は意外と多いです。

逆にどんどん不幸になっていく人もおられます。

それは何故か?

私はある一定の部分で確信に至ったことがあります。

それは、その状況下にある人の根本的思考の中に

「幸せになること=自分の好き勝手に生きること」

という間違った図式が存在している!

ということです。

そもそも【幸せ】って何でしょう?

「幸せというものが何か」を

ざっくりとでも認識している、

もしくは日々正しい認識をしようと努力し続けている人、

更に自分にとっての「幸せのかたち」を把握し、

それに向かって着実に歩めている人は、

そんなに多くありません。

まず、「幸せになる」という自分における

一生の“ゴール地点”を把握していない人間が、

フラフラと日々、目の前の事象や、

雲のようにふってわく感情や想念、

はたまた欲に振り回されているだけの人間が

果たしてそのゴールにたどり着けるのでしょうか?

太平洋の大海原を地図も食料も何も持たずに、

「いつかアメリカ大陸に着いたらいいな〜」と

小舟を漕ぎ出すようなものです。

本当の幸せはゴールではなく、

「過程」という名前の【今】にあります。

この【今】がどれだけ幸せな状態に在るかどうかです。

日々悩み苦しむ中にこそ、全ての価値や意味があり、

そこに真の幸せが“隠されている”のです。

まずはそのことを意識して欲しいと願っています。

真に幸せ(になる方法)は

「誰か(何か)のために生きること」です。

誰かのために生きることこそが、

幸せになる方法/幸せそのものなのです。

それを心の中心に持って来て日々、

そんな生き方を実践するのです。

次に、話を戻して「幸せになれない」

その根本理由は、

自分のことばかり・自分の方に利益を引き寄せる・

自己中心的な人生(命の使い方)、そのものなのです。

「自分の好き勝手に生きること」。

他者がどうなっても・どんな状況であっても関係ない。

自分が食べたい時に食べ、遊びたい時に遊びまくって、

好きな物を買えるだけのお金を持ちたいという

我欲(思考)を持つこと自体が幸せになれない、

不幸へと堕ちる蟻地獄、そのものなのです。

私は曲がりなりにも、

その人がどうすれば今の不幸な状況から脱却し、

幸せへの道に変換出来るか?大局的に観、

お伝えして来ましたが、当の本人が

「自分の好き勝手に生きること」という

蟻地獄的思考に気づき、

それを捨てようと努力しない限りは、

私であっても誰がどれだけ

幸せになれる方法論を伝えたとしても、

アカンなということが明確化されました。

「例え、その人にとって必要なものだとしても、

その人が必要だと認識しなければ、

永遠に与えられることはない」

日々様々な存在たちを観じて生きておりますが、

救い(ヒカリ)というものは、

【その人が心から求めないと与えられないもの】であると、

私はやっと理解出来ました。

従って私は、そのような人たちには

“おせっかい状態”なので、

何も言わないことにいたしました。

残念ながら堕ちるところまで堕ちないと

気づけない人間が存在するのです。

可愛そうですが、それがその人の持つ

【縁 〜因果応報〜】なので、仕方がありません。

地球人類は今後更にめっちゃ幸せになる人と、

めっちゃ不幸になって

哀れな生き&死に方をする人との

“二極化”が進んでいきます。

いかに「他(誰か/何か)のために生きること」が大切か?

この言葉の真意が分かる次元の方だけに、

この手のお話をすることにいたしました(=人=)南無☆