先日2月18日〜21日。
司馬遼太郎先生の
『街道をゆく38 〜オホーツク街道〜』を片手に、
北海道・網走へ「オホーツク文化」に
触れに行ってきました。
その概要考察編を記載させて頂きます。
<図説については2枚の添付資料をご覧ください>
「縄文時代」については、
北海道〜沖縄界隈まで全ての我が国における
共通の時代・先祖です。
が、大陸より稲作文化が九州北部から
本州の岩手県北部まで一気に拡がり
【弥生時代】になってからは、
北海道と本州の【時代 〜人の営み全般〜】が
分かれて行きます。
(添付資料に記載しておりますように、
稲は南方系の植物であり、
当時は岩手県あたりまでしか育たなかった上、
当時は青森の三内丸山遺跡が示すように、
東日本は今よりも山や川、海の資源・食べ物が豊富で
稲作しなくても十分豊かに生活が出来ました)
北海道のオホーツク海沿いには、
海獣(食べ物)や貿易品を追い求め、舟や流氷上を
ソリや徒歩でやって来た・・・
今までの日本にいた所謂“縄文人”とは
違った文化(DNA)を持った人たち(ここで言うところのオホーツク人)
がやって来ました。
それが時を経て、北海道や青森県界隈で暮らしていた
続縄文時代的な生き方を継承していた人たちと混ざり、
擦文文化を経て、鎌倉時代に入った頃に
【北海道アイヌ】という民族が誕生します。
ですので、現在北海道で暮らす
アイヌと呼ばれる方々の歴史は意外と浅いです。
北海道アイヌと弥生文化を継承した我々本州の人間とは
別の民族であると言う、左派勢力を中心とする一派がおりますが、
歴史的&民俗学的に観れば、
「大阪人」「京都人」といった感じで、
同じ日本民族に(属する人たちと)なります。
オホーツク人は図説しておりますように、
アムール川流域の大陸⇔樺太(サハリン)⇔
北海道のオホーツク海⇔本州と舟を操って
海獣を追いかけたり交易する海洋民族でしたので、
北海道内だけではなく、本州・青森からまた更に
南へあっちこっち行って交易していた・・・
つまり、混血して行ったということです。
ということで、このオホーツク人も、
北海道や北日本を始め、我々日本人のDNAの
一要素を含む先祖ということになります。
私が観じますところは、
このオホーツク人含め【北方民族】は、
寒い地域で暮らす人たちなので、
この寒さを乗り越えるための【智慧】がなければならず、
無明(愚者)であれば完全に
滅んでしまっていたということです。
また寒いということの耐性に富んでいるDNAを持っているので、
これから先、地球全体が寒冷化に進んだとしても、
このオホーツク人のDNAを持っていれば、
耐えていけるのかも知れません。
こんな感じで、あらゆる人、あらゆる思考形態や
生活習慣を持っていたDNAを持っている人間こそが、
地球規模の変化にも対応出来る素養を持っていて、
これが我が日本民族の【強み】なのかも知れません。
この地球規模の国難の時代に、
変化し続けることの必要性を改めて、
私たちの持つDNA【根源】に問い、
未来に向けて実践して参りたいと改めて観じました(=人=)☆
【参考ホームページ/写真】
①北海道立北方民族博物館(網走)
②モヨロ貝塚館(網走市立郷土博物館 別館)
(モヨロ人=オホーツク人の一派です。
故・米村喜兵衛氏が網走の最寄村で見つけた遺跡のために
「モヨロ人」と名付けられました)