「闇の中でこそ、観えるもの」

都会の夜を歩いてますと、

街明かりがたくさんあって殆ど星が見えません。

だけど、真夜中の都会とか、

夜停電になった瞬間とか、

田舎の夜は、灯りがあまりなくて、

星がたくさん見えてきます。

とりわけ、人里離れた空気の澄んだ田舎の星空は、

星がたくさん観え、何だか落ちてきそうやし、

手で掴めそうな勢いで美しいです。

地球の大地からはあまり星は見えないのですが、

私たちの目では見えないだけで、

本当はいっぱい宇宙にあるんですよね。

今の世界/社会状況を夜空で例えるならば、

【暗闇】なんだと思います。

とにかく真っ暗。四方八方が見えない。

だから不安と恐怖の闇の中にいるという感じです。

だけど、冷静になってじーっと目を凝らしてみると、

その暗闇にだんだんと目が慣れて来て、

ぽつりぽつりと灯り【ヒカリ】が観えて来ます。

一度でもアカリが灯った世界は

未来永劫暗闇ということは無いし、明けない夜は無いのです。

それを見ようと意識し努力するか、しないかです。

その意識(心の方向性)が人間を

明るい希望へと押し上げて行くか、

暗い絶望につき落としていくか?大きな分かれ道です。

暗闇の中で、ぽつりぽつり観えてきた小さなヒカリって、

今までのめっちゃ明るい都会の空では

見えないヒカリなんですよね。

暗闇になったからこそ観えてきたそのヒカリ。

それは、いつも陰に陽に支えてくれている家族であったり、

会社やいろんな会の仲間の存在だったり、

はたまた、いつも身近に存在するいろんな道具であったり、

健康な心身であったり、綺麗な空気であったり、

眩いばかりの太陽の光であったり、

すべてを実らせてくれる大地だったり・・・

今まで何とも思わなかった

【アタリマエ】だと思っていたこと/存在が、

【アリガタイ〜有るのが難しい〜】という、

かけがえのない存在であったということに気づく訳です。

私たちは長い地球の人間中心主義の弊害により、

意識的また無意識に多くの罪を犯して来ました。

投げたボールが壁に当たって

自分のところに還って来るが如く・・・

「因果応報」というもので、罪というものは

自らの意思と努力により清算しなければ、

真の幸福へと進めないようになっています。

これは【宇宙の法則】です。

地球のカミサマホトケサマにすがっても

その罪は帳消しにはならず、無意味です。

「見上げてごらん夜の星を

小さな星の 小さな光が

ささやかな幸せをうたってる

見上げてごらん夜の星を

ボクらのように名もない星が

ささやかな幸せを祈ってる」

人間の自我や悪、魔、罪といったものを越えて存在する、

宇宙の絶対なる愛は、あなたがいるその場所から見えなくても、

今もこうして私たちを見守り、

幸せの道筋をヒカリで差し示してくださっているのです。