畑をするようになって、雨乞いという行為
【祈り】を意識的にするようになりました。
晴天下でじょうろを使って作物に水をあげるよりも、
自然に天(雲)から雨水が降って来る方が、
作物がより元気(幸せ)になるからです。
今は夏野菜を植え始めた時期で、
頻繁に水やりを必要としますので、
私の雨を必要とする念は大きいです。
今日・30日も夕方に畑に行き、
「たっぷり降りますように」と祈雨して
畑を後にしました。
帰り同行していた母が
スーパーに行きたいと言ったので、
その駐車場で待っていると、
南から分厚い雨雲がやって来ました。
こんなすぐに効果が顕れたのは初めてで、
いろんなことに気づき、確信を得ました。
「雨乞いすると、その祈りの行為(念)が天に届き、
雨が降ってくる」というよりも、
私の無意識レベル(直観)では「いついつに雨が降る」
という地球意識からの情報を既にキャッチしていて、
その情報に合わせて、
「あ。今祈っておこう〜/今日、畑に行こう〜」
と決めている・・・という方が、
宇宙真理的には正しいのかも知れない
ということに気づかせていただきました。
別角度から申しますと、
「明日あの人に会えますように」と祈ると、
本当に明日、会いたかった人に会えたという事実は、
実は、自分が前日、そうなるようにと
祈ったからそうなったのではなく、
明日その人に会うように【既にそうなっている
(=未来が既に観えているから、その確認的行為として祈る)】
ということです。
未来が観えると、今の自分が何をすれば
いいのかがとても良く分かります。
「明日雨が降るから、今日新しい作物を植えよう
/今日は水やりする必要はないな」などなど、
明日(未来)から逆算して、
今すべき行為を決めるという生き方に自然となっていきます。
「天気予報」というものがありますが、
その人その人の
「人生予報/自分自身の気の配置」も分かれば、
より的確に今を生きることが出来ますし、
そして何よりも、未来に対する不安や恐れ、
憂え等の悪想念が無くなります。
ということは、あなたの素晴らしい未来に
邪魔をする罪(存在)も無くなるということです。
そのためにはやっぱり、
目先の自我を捨て切る(喜捨)しかありません。
自我というものは、未来や今・・・
全てを曇らせ歪ませて、
不幸の種(因)になっていきます。
古今東西の人間が、観えない大いなる存在に対して
し続けてきた【祈り】という行為を通しての自己の浄化、
密なるもの(目に観えない未知なるもの)だけに、
宇宙的な拡がりを見(魅)せたとても面白い世界です。
さらなる考察と実践を続けて参ります(=人=)☆