今回の京都・比叡山シリーズ、これで終わりです。
6月16日(火)朝6時半より、
宿坊「延暦寺会館」に泊まっている人が参加出来る
「根本中堂(総本堂)」での【朝のおつとめ】に
参加させていただきました。
現在この根本中堂は大改修中で、
建物全体が工事用のシートで覆われていたりしていましたが、
その荘厳さは変わることはありません。
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堂内は外陣・中陣・内陣に分かれ、
本尊などを安置し、僧侶が読経などをする内陣は、
中陣と外陣より3mくらい低くなっていて、
内陣にある本尊や「不滅の法灯」と、
中陣に座る私たち参詣者の高さが同じになる
珍しい構造になっています。
ですので、おつとめ中は読経しているお坊さんは見えず、
仏様が真ん前に見えます。
お坊さんたちの謙虚な姿勢がよく分かります。
感動いたしました。
天台宗総本山の聖地中の聖地である、
根本中堂での朝のおつとめは、
何とも言えない程に厳かで清らかで、
悠久の歴史の宇宙の流れに誘う、大変素晴らしい時間でした。
参加者は私以外に65歳前後のご夫婦3組のみで、
読経されたお坊さんが私たちの名前も読み上げてくださり、
いろんな祈願をしてくださいました。
![](/img/u43837/FI4010983_1E.jpg)
おつとめ終了後、担当されたお坊さん
(以外と若く、私と同世代くらい?)が
「つたないお話ですが・・・」とめっちゃ謙遜されながら
私たちにお話をしてくださいました。
そのお話をざっくり要約しますと、、、
「我々僧侶のすることは“祈ること”です。
何かあっても、何もなくても、することは同じです。
変わることはありません。」
ということです。
建物全体が工事用のシートで覆われているので
とても暗い場所でしたが、そのお坊さんのお話を聴き、
鮮烈なヒカリの稲妻が落ちて来たくらいの衝撃を受けました。
平時の時も一所懸命祈り続けるし、
国難の時も一所懸命祈り続けるということです。
つまり、コロナウイルスとかが来ようと、
何も来なくても一切関係ないという訳です。
![](/img/u43837/FI4010983_2E.jpg)
私たちって、何もない平和な時は、
傲慢になってほへーっと過ごしているんですよね。
だけど、何か大きな問題や悩みが発生した時に、
あたふたしたり、神仏や他人にすがって
「何とか、私を助けてください!」と
必死のパッチ状態になる訳です。
だけどお坊さんたちは、そんな強弱がないんですよね。
一日一生で、ただただ衆生のために
一生懸命祈り続けることが自らの使命役割であり人生であり、
真の幸福であるということです。
決して力んでる訳でも無理している訳でもない、
無為自然的な(自然体の)【覚悟】というものが、
そのお坊さんから観じられ、深く感動し、
そして自らの強弱のある日々の過ごし方や意識に
反省懺悔した次第です。
![](/img/u43837/FI4010983_3E.jpg)
そして、「仏という存在とは、仏になった人ではなく、
【なろうと努力/精進し続けている人】であるということ」も、
とても良く理解出来ました。
私はそのお坊さんに“仏”を観ました。
いやはや。。。人生まだまだすべきことは多いです。
おかげさまでまた新たなる境地に触れることが出来ました。
ご縁いただいた全てのみなさま、ありがとうございました(=人=)☆
次回の『よしこちゃんの街道をゆくシリーズ旅』も
どうぞご期待ください(笑)♪
●天台宗総本山「比叡山延暦寺」公式ホームページ
【写真】
比叡山・東塔エリア「根本中堂」
『街道をゆく16 叡山の諸道』(表紙写真:横川中堂)
比叡山・横川エリア「横川中堂」(横川中堂でお写経しました)
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