「他を護り、救う/憤怒の相」

例えの話です。

「いつも朗らかで笑顔でいなければならない」

・・・そうカンチガイしている人間をたまに見かけます。

長く人間をやっておりますと、

思い込みという【自我の一種】が人間を

間違った方向へ導いて行きます。

人間は、過去自分がやって来た思考形態や

習慣を変えない方がラクな(心地よい)のです。

いくらそれが間違っていても、

自我の強い人間はラクな方に流れてゆき、

それがその人の不幸の元凶(もと)であっても

気づこうとしません。

気づく気の無い人間に、そのことをお伝えしても、

二元対立論から抜け出せない/

平行線を辿る未来はクリアーに観えてますので、

私はその人たちから離れ、不幸に堕ちていくのを

静かに観察するしか出来ません。

天気にも晴れ・曇り・雨・雪・雷など、いろいろあるように、

仏像(真実の観える化)もいろいろな

かたち・表情をしたものがあります。

写真は東大寺の南大門にある仁王像です。

とっても怖いお顔をされています。

仏教用語で「憤怒(ふんぬ)の相」と言うそうです。

何故、南大門にあるこの像は笑顔じゃない

/怒っているのでしょうか?

もっと日常的なことを言いますと、

どうして毎日の天気が「晴れ」じゃないんでしょうか?

雪や雨、雷が鳴っている時もあります。

その答えは

【それが今の自然な状態/必要な状態】だからです。

毎日天気が晴れで、どのお寺の仏像も

全部観音様のようにふっくら笑顔だったら、

どうなんでしょうか?そっちの方が【不自然】でしょう。

ただ、「TPOに応じて」というものがあるでしょう。

邪気を境内に入れさせない為の入り口や、

本尊の周りには怖いお顔をした仏像が

置かれている場合が多いです。

だけど、その入り口などに、優しいお顔の仏像があれば、

境内にどんどん「悪党ども(悪想念)」が入って来るでしょう。

人間に於いても適材適所、役割や時と場合に合わせて、

自らの表情・言動を変えることが必要であろうかと思われます。

怒り(天気で言うところの雷エネルギー)は、

人間の感情で最も強い熱量を持ったエネルギーです。

これを自分の自我我欲を叶えるためだけに使う

【私憤(しふん)】では、絶対に使ってはなりません。

必ずその私憤の強いエネルギーが自分に還って来て、

自らを苦しめることになります。

が、自分のためではなく、誰か(何か)を護る/

救うための【公憤(こうふん)】はTPOに応じて

使った方が良いです。

強いエネルギーなので、一瞬でその場のエネルギーを

変換/浄化/昇華することが出来ます。

日々時間をかけて、笑顔の緩やかなエネルギーで

自他を正しい方向に導ければ良いのですが、

人間の人生(地球の時間)はどうしても有限世界なので、

長い時間をかけれない場合が多々あるのです。

だけど時間が長くなると、その間に問題が悪化し、

どうしようも出来なくなってしまいます。

本当に誰かのことを想う/

みんなのことのためになるのであれば、

敢えて怒る/叱るというエネルギーを

必要とする時もあるのです。

地球にはもう時間がありません。

同じ色/レベルの人間がコソコソ固まって

ニコニコワイワイしているだけでは地球は何も変わらないし、

進化もしません。

進化しない=退化するということです。

だからこそ今、地球が公憤の念

「憤怒の相」を求めています(=人=)宇留祈☆