「宇宙の根源 〜盧遮那仏〜」

南都六宗「華厳宗」大本山・東大寺の「大仏さん」は

盧遮那仏(るしゃなぶつ)という名前の仏様です。

「盧舎那仏」とは、【宇宙の真理】を体得された

釈迦如来の別名で、

世界を照らす仏・ひかり輝く仏の意味。

つまり華厳宗における宇宙の根源的存在です。

左手で宇宙の智慧を、

右手に慈悲を顕しておられるとのことです。

【宇宙の真理】を体得されたお釈迦さまは

我々人間に【解脱】という、

真に人間が幸福になる道〜仏教〜を説かれました。

「盧舎那仏」などの仏様に手を合わせる・

帰依することも一つの幸福になるための

方策であろうかと思われますが、

大多数の一般人の我々にとっては、

自分の身近に存在する夫婦・親子という

根幹的関係性を持った人に対していかにして

手を合わせるか?心を合一させるか?が

より重要な、真に人間が幸福になる道であろうかと思われます。

いろいろな夫婦・親子を日々観察し共通して観じることは、

お互いの信頼関係/心身の繋がりが強い人程、

表情・雰囲気・心が明るく、霊的肉体が

光輝いているということです。

しかしながら、夫婦・親子という血縁関係は、

過去というものから連続して続いているものであり、

男女(父母)それぞれの家系の過去(流れ)の状態によって、

今の状態が違って来るということです。

(※結婚というかたちで縁する男女は、

同じ因果/同じような家系の問題を抱えた者同士が

合一した状態となっています)

過去は死んだ人間の肉体と共に、

どこかへ消えて無くなくなるのではなく、

大宇宙の記憶の中に全て遺されており、

それが現在において光や影(徳や罪)という

影響を与え続けているということです。

例えば、不純異性行為が好きな男性が、

結婚相手以外の複数の女性と深い関係を持ち、

浮気相手に中絶させたりすると、

自分の娘が結婚出来ても子供が授からないという

罪の顕れが時間を超えて顕れたりします。

また、何回も結婚と離婚を繰り返してると、

過去結婚していた(浮気していた)異性からの

<怨念>や前のパートナーとの間に

生まれた子供からの<悲しみの想念>が

時空間を超え投影され、

今のパートナーとの結婚生活を含む、

いろいろなことがうまく行かなくなったりします。

血縁の間の決めごとを複数回破る人間は、

大抵「星(エネルギー)が強い」ので、

自分と対になっている人間の方に、

その人の罪が投影(スライド)されます。

例えば、浮気症の男性はいつまで経っても元気なのですが、

奥さんが病気になったり、子供が非行に走ったり、

引きこもりになったり、養育費などの出費が

べらぼうに多くなったりし、

経営者であれば、会社の経営が悪化したりもします。

だんだん年を取ってくると、エネルギーが

弱くなって来ますので、

罪を犯した本人が病気になったり、

たった一つの失敗で倒産や破産をしたり、

今の奥さんや子供に見放されたりします。

当然のことながら生きている間に消罪が出来なければ、

死後は地獄でたっぷりと反省懺悔の時間が待っています。

宇宙の大根元と直結した生命誕生の聖なる間である、

夫婦・親子という血縁の間の決めごとを破る(穢す)ことが、

他人を傷つけ殺すことと同様の、

人間が犯す罪において最高レベルの罪になります。

結婚をする時に、教会であれ神社であれ、

神(宇宙の根源的存在)に結婚の誓いを立てるでしょう。

それを平気で何回も破っているのですから、

根源的な【破約失福】となります。

その罪の深さに気づけ無い、無明過ぎる人間が

何度も同じ過ちを繰り返し、

知らずの間に自分の血を穢れさせ、

家系全てを不幸にしていくのです。

従いまして、そのような学習能力の無い、

過去に何回も浮気(不倫)や離婚を繰り返した人間を

根本的に信用信頼することは大変難しく、

言っていることは全てが薄っぺらいし、儚い。

そして、穢らわしい。

(※浮気や離婚を繰り返す人間の生命エネルギーの周りには、

異性等からの悪想念がたくさんくっついているのですぐに分かります)

今を生きる人間から過去の記憶が消せても、

大宇宙の過去からは消されることは無いのです。

全ては因果応報。自ら作った罪は、

自らの一生/命をかけて返す。

それが罪深き人間の今生の人生、そのものです。

真の幸福/永続的な幸せな人生を得るためには、

電気で例えるところの「発電所」〜華厳宗で言うところの

「盧遮那仏」という宇宙の根源〜に繋がり続ける必要があります。

が、自らの血縁の間などのありとあらゆる罪、

また祖先/過去世の罪があると、

その大いなる宇宙の発電所から現代を生きる自分まで

繋がっている「電線」の中に罪という不純物がたくさん混ざっており、

発電所から電気が100%流れ出しても、

電線を伝って自分のところに来ると10%まで減っていたりします。

哀れなのが、オギャー!と生まれた瞬間に

既に10%しか電気が来てない人は、

その10%を「100%だ!」と思い込んでいる場合が多いです。

生まれてから既に不幸な人間は、

自分が不幸であることが普通で、

真に幸福な100%な状態をイメージ出来ず、

そのまま不幸で人生が終わってしまうケースが

まぁまぁあります。

「これがよい!」と10%の人間が

カンチガイして喜んでいる姿も、

無明過ぎて哀れなことではありますが、

先祖から続く強烈な思い込み(自我)が邪魔をして、

どうしようも出来ません。。。

とにもかくにも、生まれ出たからには、

出来る限り100%に近づけてから逝けるよう、

精進して参りたいなと思います(=人=)宇留祈☆

【写真】東大寺大仏殿「盧舎那仏」