先日、長崎に行って来ましたので一部、
その報告をさせて頂きます。
2015年にこの軍艦島(正式名称:端島)も構成遺産に含む
「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」が
世界文化遺産されましたので、ご存じの方も多いかと思います。
現在4社程が、長崎港から「軍艦島クルーズ」
(所要時間:2時間半程度)を運行されており、
おかげさまで天気も良く無事、軍艦島に上陸も出来ました。
この軍艦島の下には良質な石炭が多数あり、
明治期〜昭和49年の閉山になるまで、
我が国の経済発展を影で支えて下さっていた島です。
ほんと、感謝しかないです。
最盛期の昭和35年(1960)年には約5300人もの人が住み、
当時の東京都区部の9倍もの人口密度があり、
島内には小中学校や病院などが完備され
生活を全て島内で賄うことができ、
映画館やパチンコホールなどの娯楽施設もそろっていました。
本土では三種の神器(テレビ、冷蔵庫、洗濯機)の普及率が
20%の頃に、ここはナント100%だったそうです。
日本初の鉄筋コンクリート建のアパートも
この軍艦島にあります。
その反面、海中深くまで石炭を掘る作業は過酷労働そのもので、
労働者の待遇・給料は良くても常に命の危険と隣合わせでした。
およそ40年この島は無人の廃墟状態ですので、
台風などが通る度にだんだんと崩れ朽ちていっており、
世界遺産としての維持管理が大変のようです。
もしもこの島が本州のど真ん中にあれば、
この用無しのコンクリートの塊群をそさくさと撤去し、
新しい建物や機能、役割が与えられるのでしょうが、
この島は長崎港から船で30分くらい離れた
海の真ん中にポツンとある関係で、ほったらかしになっています。
だけど、この廃墟と化した軍艦島が
【過去を今に伝えてくれている】のだと観じました。
遠い過去の彼方に消えていくはずのもの・今を/
未来を生きる私たちの目や手に触れることのないはずの
【歴史 〜人々の営み〜】を時を超えて、
同じ場所でリアルに教えてくださっているのです。
なんと尊いことでしょうか。。。
見た目は廃墟でしかありませんが、
ダイヤモンドや石炭のように“キラッと光る美しさ”が
今もこの島にあると観じました。
かつてこの島におられた方々のいろいろな想いが、
美しい島の風景に投影され、
生き生きと私の脳裏に蘇り、とても感動的でした。
日本国内でこれだけ本格的な廃墟(過去の産業遺産)が
遺っているのは稀有だと思われます。
みなさまも是非いつか行かれてみてくださいね^^♪
【軍艦島概要】