司馬遼太郎先生の『街道をゆく』を持っての四国旅は
この⑧で終わりです。
それ以降は別のコンセプトでの四国旅が続きます。
愛媛県南東部にあります、松野町目黒というところに
「目黒山形模型」という国指定重要文化財があります。
11月20日(日)に観に行って来ました。
司馬先生が旅をされていた頃には目黒村の建徳寺に
保管されておりましたが、今は「目黒ふるさと館」に保管されています。
この模型を作った人たちはもうこの世にはおりませんが、
模型からはその時の状況やその人々の【想い】が伝わって来ます。
梼原の資料館同様、ここにも司馬先生の自筆の色紙があったり
『街道をゆく』のことが記載されていて、司馬ファンとして、
この上なき幸せでございます(^^)♪
この木彫りの模型が作られたのは江戸時代初頭です。
ここの目黒村は宇和島藩から分藩した吉田藩の飛び地でした。
周り村々(他藩)の人たちが、目黒の山々に勝手に入り込み、
いろんな山の資源を奪うなど、境界線争いが絶えませんでした。
そこで当時の目黒村の人たちは地元人だけでは
決着がつかないと判断し、
江戸幕府に直接提訴する過程で目黒村界隈の絵図
(地図)だけではなく、より地形が分かる模型も作成し、
江戸に持って行かれました。なお、この模型は非常に大きいので
6つに分解出来、軽量化のため裏側の木は切り取られたりしています。
このような江戸時代初期の境界線争いにちなんだ模型は5基、
現在も遺っているとのことですが、
その他の4基もこの伊予の国にからむ地域のみで
遺っているとのことです。木材が豊富にある場所であり、
模型を作ろうとする発想や技術、そして測量能力の高さが
当時の伊予の人にはあったということでしょうね・・・
江戸時代は令和の私たちが思う以上に多彩で
技術や精神文化レベルが高くて、
めちゃくちゃすごくて面白く、勉強になります(^0^)!!!
●目黒ふるさと館