街道をゆく四国旅⑥「中平善之進」

高知・須崎方面から西に向かって梼原町に入る場所

/国道197号線沿いに【中平善之進像】が建っています。

この梼原の庄屋だった中平善之進が、

今もこの町の守護神かも知れませんね。

この方の略歴は2枚目(右)写真を観て頂くこととしまして、

江戸時代中期に「津野山一揆」というものがあり、

土佐藩の圧政(津野山界隈に商権を持つ蔵屋利座衛門。

当時の土佐藩は藩が直接農民から米などの農産物を

税として取るのではなく、「専売制」にして特定の商人が間に入って、

その商人が農民から取り集め、商人から藩に

納めるということをしていましたが、必要以上に商人が農民から

搾取していた事例も多かったようで、農民が一揆を起こした)に

苦しむ梼原含む津野山界隈の農民たちのために立ち上がった人で、

土佐藩に対して蔵屋利座衛門の暴利と私曲を糾弾し、

死罪に追いやることに成功し、一揆の目的は達成出来たものの、

一揆を起こすこと自体が罪なので、中平善之進も死罪となったとのことです。

刑死の日は風が強く、やがて暴風雨に変わり、

さらには地震・津波も起こったので、

土佐藩主は「中平善之進の祟りだ!」と恐れ、

城内に祠をたて、その霊をまつったとのこと。

そりゃー【善/光】の人に【罰】を与えたら、

フツーにそうなるやろー!(苦笑)、、、

蔵屋利座衛門のような暴利を貪る商人の温床となっていた

「専売制」も次第に緩和していったとのことです。

夕日に映える【中平善之進】の意識は時空を超え、

今を生きる私たちにも、いろいろなことを

語りかけて来てくださいます(=人=)☆

●中平善之進像

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