高知・須崎方面から西に向かって梼原町に入る場所
/国道197号線沿いに【中平善之進像】が建っています。
この梼原の庄屋だった中平善之進が、
今もこの町の守護神かも知れませんね。
この方の略歴は2枚目(右)写真を観て頂くこととしまして、
江戸時代中期に「津野山一揆」というものがあり、
土佐藩の圧政(津野山界隈に商権を持つ蔵屋利座衛門。
当時の土佐藩は藩が直接農民から米などの農産物を
税として取るのではなく、「専売制」にして特定の商人が間に入って、
その商人が農民から取り集め、商人から藩に
納めるということをしていましたが、必要以上に商人が農民から
搾取していた事例も多かったようで、農民が一揆を起こした)に
苦しむ梼原含む津野山界隈の農民たちのために立ち上がった人で、
土佐藩に対して蔵屋利座衛門の暴利と私曲を糾弾し、
死罪に追いやることに成功し、一揆の目的は達成出来たものの、
一揆を起こすこと自体が罪なので、中平善之進も死罪となったとのことです。
刑死の日は風が強く、やがて暴風雨に変わり、
さらには地震・津波も起こったので、
土佐藩主は「中平善之進の祟りだ!」と恐れ、
城内に祠をたて、その霊をまつったとのこと。
そりゃー【善/光】の人に【罰】を与えたら、
フツーにそうなるやろー!(苦笑)、、、
蔵屋利座衛門のような暴利を貪る商人の温床となっていた
「専売制」も次第に緩和していったとのことです。
夕日に映える【中平善之進】の意識は時空を超え、
今を生きる私たちにも、いろいろなことを
語りかけて来てくださいます(=人=)☆
●中平善之進像