11月19日(土)の夕方、高知県北西部にあります
梼原(ゆすはら)という町に行き、
「梼原町立歴史民俗資料館・梼原千百年物語」という場所で、
梼原の町の歴史・概要を観に行きました。
ここには司馬遼太郎先生が
『街道をゆく 27 〜梼原街道〜』の取材に来られた時の
写真や色紙が展示されており、
司馬ファンとしては非常に嬉しかったです(1〜2枚目写真)。
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ここも非常に面白い歴史のある町です。
この町を作った先人たちはどうやら西側の海から
/伊予(現在の愛媛県南東部)から来た人たちだったらしいです。
ですので文化的にはかなり伊予(しかも南予)色のある
土佐文化という感じで、私が日頃四国遍路で出会う、
生粋の土佐人とは違い、なんだかとってもおっとり
且つ事務的に淡々とあれこれこなされていました。
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ここは所謂【脱藩の道】の一部であり、
あの坂本龍馬もここを通り、土佐藩を出、志士となっていきました。
この梼原にかつてあった土佐藩の関所は、
歴史的に脱藩しようとする志士たちに対して同情的で
“居眠りしているフリ”をしている間にどんどん
脱藩させたというニュアンスのある場所だったようです。
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脱藩した先にある伊予の大洲藩は比較的脱藩浪士たちに
同情的だったからこそ、梼原界隈が【脱藩の道】になったとのことです。
梼原という地理的にはド田舎にあるにも関わらず、
著名な建築家・隈研吾氏設計の町に調和しつつも
斬新でハイレベルな建物がたくさんあり、
文化的レベルも高く、しかも道路も広く、
便利なトンネルもたくさんあって、
政治的なレベルも非常に高い町で驚きました。
「田舎者」という田舎で暮らす人を卑下する言葉がありますが、
梼原の人たちは、所謂「発展家」で意識が外にもちゃんと向いていて、
積極的に外に良いものがあれば、すぐに受け入れよう!
という発想がめちゃくちゃあり、驚きました。
さりとて、昔からある美しい星空や四万十川の風景、
神楽や地元の偉人など、古き良きものも
非常に大切にされておられます。
そのバランス感覚が、ある意味都会で暮らす人よりも
研ぎ澄まされているなぁと観じました。
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ま、ここまでしないと、日本の殆どの市町村がそうであるように、
人口が減少し、町そのものが消滅するという
危機感があるのかも知れませんね。。。
にしましても資料館に歴代村長(町長)さんの
肖像画や写真がずらっと並んで展示されているって、
どれだけ歴代の村長さんが一所懸命、
村人のために政(まつりごと)をされ、
尊敬されていたかが良く分かる展示でした!
●梼原町立歴史民俗資料館・梼原千百年物語
http://www.town.yusuhara.kochi.jp/1100nen/
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