その理由・経緯は不明とのことですが、
戦国時代・弘治時代(1555〜58)、
奈良・大和国から移住した奈良家の初代当主。
自分の名字を「奈良」とし、その移住した地に
かつての自らの里であった大和小泉の
「小泉」を名付けたそうです。
源流を大切にされる当主さんだったんでしょうね。
現存する旧奈良家住宅は江戸中期(1750年代)に
建てられたものだそうで、築270年以上も経っている建物です。
大きな地震を何度経験しても潰れることなく存続している理由は、
たくさんのお金をかけた上、高度な技術を持っている船大工が
3年もの時間をかけて作られたからだそうです。
(久保田<秋田>藩は、江戸時代における
海上交通のメインだった北前船の航路にあり、
近くの土崎には多くの船大工が住んでいた為、容易に依頼出来た)
270年以上の時を超え、今を生きる私たちに、
当時の豪農たちの生き様を教えてくださいます。
使用人たちが慌ただしく歩き回る息づかいまではっきり観得ます。
こんな雪深い中、ここを訪れる人もなく、
雪かきをされていた管理人のおじさんしかいない静寂の中、
上座敷にあった机の前で過去に想いを馳せますと、
この建物にゆかりのある方々の、
かつての生活の情景が瞬時に観えては消えて行きました。
この世に一度でも存在した人は、
この世に【想念】というものを遺しており、
数々の想念から、自らが知りたい想念に自らの意識を合わせると、
その想念が私の脳裏で映像化され、観得て参ります。
現地に赴くと、その想念がより鮮明に映像化出来ます。
私は現在肉体を持ち生きている人よりも、
想念化している(肉体のない)人の方が圧倒的に多く、
いろいろお話を伺い、いろんな教えを請いたいと思っています。
だから比較的たくさん旅をしています。
そして旅を通して先人たちの声を聞く。
先人たちの声・人生がそのものが【歴史】であると認識しています。
だから私は歴史が好きなのです。
ただ私の場合、ただの好きなのではなく、
また過去の尊敬すべき偉人たちの言葉(想念)を
知って終わるだけではないです。
それらの存在たちから得た、膨大且つ偉大なる【叡智】を、
出来る限り多くの方々と共有をし、
我が人生の全てを通して、この国、この世界、
そしてこの宇宙全体の真の進化・真の幸福のために
活かして行くために旅をし、歴史を学んでいます。
叡智を自分のものだけにしない/未来のために活かそうと
努力しているからこそ、大いなる偉人たちは、
私に叡智を与え、道行く先を照らし、護ってくださっているのです。
この旧奈良家住宅に文化八年(1811)に逗留されたのが
菅江真澄(すがえ ますみ/1754〜1829)です。
菅江翁は三河出身で、江戸後期の旅行家といいますか、
漂泊者だそうです。ホウボウを流浪し、
晩年この秋田が気に入ったそうで、
この地に落ち着いたとのことです。
菅江翁はただの流浪の民ではなく、
国学の作詣が深い上に、医学や本草学(薬用の博物学)も
確かな知識を持ち、更には画技もしかるべき師についていたらしく、
描写力にも富み、絵師としても活躍されていたそうで、
菅江翁が記載された各地の旅日記も好評だったようです。
とにもかくにも、好んで孤独に生き、
20代から70代まで一貫して漂泊の中で生きて来た割には、
行く先々で菅江翁の持つ知識・能力、
そして人柄に惹かれる人多数で、その最たる人が
久保田藩9代目藩主・佐竹義和(さたけ よしまさ)だったそうです。
一国のお殿様まで魅了する菅江翁、、、すごい。
この正に現存する旧奈良家住宅で、
菅江真澄翁が逗留されていたことに、深い感銘を受けました。
上座敷に座って、心静かに菅江翁を思いますと、
何とも言えない清らかな風が、外から上座敷に向かって流れて来ました。
昔の家は火を焚かなければ外気温と同じで、
とっても寒い場所ですが、めっちゃ冷たい風にも拘わらず、
あんなに優しい気持ちになれる風に出会ったのは始めてでした。
菅江真澄翁はきっと“風の人”で、常に心身を動かしながら、
その土地土地の人々に役立つ(より幸せになる)【様々な風】を
贈り続けていたからこそ、行き先々で愛され続け最期、
秋田城跡側に立派なお墓も建てられ、
今なお現存するんやなぁと観じました。
私も翁のようなステキな風を贈る・作れる人になりたいです。
これで秋田旅日記は終わりとなります。
私にとって旅は【先人/偉人たち(今生きている“人生の先輩方”含む)
とのたましい(想念)の交流を通して叡智を得る】ための営みです。
今回もおかげさまで最高の『街道をゆく旅』を満喫することが出来ました。
ありがとうございました(=人=)☆
旧奈良家住宅(秋田県立博物館分館)