71番弥谷寺は、ちょっと人里離れた急斜面にあるためか、
はたまたご住職(お寺に関わる方々)の想いなのか・・・
私達が生まれる遥か前からのお寺の様相が、
そのまま現代に遺っている観じがして、
個人的にとても好きなお寺さんです。
大分・国東半島界隈の石仏群のように、
大きな岩に明らかに人の手によって、
仏様や五輪塔などがたくさん刻まれています。
私はここへ来る度に、どんな想いを込めて古(いにしえ)の人たちは、
石を刻んでおられたのか?と、
遠い過去の記憶と対話しています。
本当のところは知る由もないのですが(笑)、
刻んだ人たちの喜怒哀楽、、、悲しみ、苦しみ、悩み、
そしてそこから救い出して欲しい!といった、
人生全ての【想い】が、小鳥のさえずりのような声で
聞こえて来るようです。
その方々の想いは、肉体の消滅や、
子孫の祈りという時間の経過と共に、大自然の、
一木一草に還っていくという観じがします。
例え今、苦しみや絶望、悲しみのどん底にあったとしても、
こんなかんじで、幾重にも月日が流れれば、
やがて全てが大自然の中【空/くう】に還っていく・・・
という、絶対的な安心感を観じました。
苦しみは苦しみとして続くものではなく、
悲しみは悲しみとして未来永劫続くこともない、ということです。
それらの不自然な想いを、
自然なもの/大自然に還していくのは、
人々の純粋な祈り【想い】、そして大自然に満ち満ちた
【愛そのもの】であると、弥谷寺の木々や岩、木漏れ日たちが、
私たちに教えて下さっているように思いました(=人=)☆