久高島はさすが、琉球王国時代より(それよりも前から?)
神の島と呼ばれているだけありまして、
昔からのそのまんまの風景が残る島となっています。
久高島にはおよそ170人が暮らしています。
移住者も少しいるようですが、今も年々減り続けているそうです。
島には久高小中学校がありますが、
高校からは島の外になり、働く場所を求めて
島に戻ってこない働く世代が多いのと、
島で暮らすお年寄りが亡くなっているという理由で
減り続けているそうです。
島の土地は、国有地や電力会社の用地を除き、
全て「字久高(あざくだか)」名義で登記されています。
琉球王朝からの「地割制」が唯一残る地域で、
「土地は神様から借りている」と共通認識から来ているそうで、
土地の私有を認めていません。
またバブル期のリゾート計画がきっかけで
1988年に『土地憲章』を憲章し、土地の総有が明文化されました。
地域の土地は字(あざ/地域みんな)で管理しています。
家を建てる時は、字の総会の許可を得る必要があり、
島を出るときに土地は字に返します。
(従って、個人で土地の売り買いも、
土地を担保にすることも出来ません)
ほんと、この徹底ぶりには感服しっぱなしですが、
このままですと、人口は減り続け、所謂【限界集落】になってしまうので、
何とかしなければと思う変革派の島の人もおられるようですが、
なるようにしかならないと現状維持派の人も多いようです。
なんせ、島のエンジンとなるべき、
20〜50代の働く世代が少ないのが、
【限界集落】への赤色信号な訳ですが、
ここは久高島の意識の高い地元の方々と
久高島が所属する南城市(行政)の方々、
そして久高島を愛する島の外の方々が一致団結して、
半世紀で人口を300人くらいまで戻して欲しいなぁと
切に願っております(=人=)☆
・・・で、島の中をせっせと歩かせて頂きました。
久高島の港(徳仁港)や島の人が暮らす地域は
島の南部になります。そこから北の端(カベール岬)まで、
4キロ程かなと思いますが、南から北・・・
東西南北をせっせと歩きました。
どこもそれはそれは美しい場所ばかりでした^^♪
御嶽(うたき)という、お祈りする場所もたくさんあり、
まさに清らかな「神の島」でした。
私が行った時は、曇や雨の時が多かったので、
星空は見えませんでしたが、今度行く時は、
絶対に晴天の日に行きたいなぁと思います。
星空は本当に綺麗なんだそうです!