【過去の日記です】
2025年2月26日更新
2025年2月26日更新
地球人の中の日本人、日本人の中の八重山人(やいまんちゅー)・・・今回の石垣島4泊5日の旅で、八重山人気質というものについて考えることが多かったです。
同じ大和民族というカテゴリーに入る種族でも、私が属する大阪・関西人と八重山人は(個人差がありますが)同じところもあれば、違うところもあります。
「石垣島発 私設かってに観光協会(八重山人気質)」という、石垣島在住の個人の方のホームページ↓
と、司馬遼太郎先生の『街道をゆく6 沖縄・先島への旅』を参考に考察してみました。
上記の本の中で、「すぐには信じられがたいことかもしれないが、八重山諸島では17世紀まで【石器・木器の時代】が続いていた。この事実を、冷静に知的にそして濁りのない情緒で把握しなければ、現代にいたるまでの沖縄史と、沖縄問題の本質をとらえぞこねるのではないかと思える。」
ユーラシア大陸や日本本土(内地)から遠く離れていたという地理的要素もあれば、『沖縄諸島では砂鉄を産出しなかったから』石や木で農具などの道具を作るしかなく、それで生産性が極めて低く、自然、物質的な【所有欲】が小さな限界でとどましとくに、土地所有欲も希薄であった・・・と。
加えて、亜熱帯気候の八重山地方は実なりがよく、食うに困らない。山があるので川もあり水にも困らない。家屋を作る建材も至るところに生え、また落ちており、衣食住に困らない状態。
征服者(琉球王国や薩摩藩)がやって来るまでは、のんび~りゆったりな時間が流れる【ユートピア状態】であったかと思われます。
この島に征服者がやって来る直前に鉄が入り、生産性が一気に向上したのは良かったのですが、征服者によってこき使われた挙げ句「人頭税」などを課せられ、奴隷状態になってしまい、長い間辛い差別に苦しんだ時代がありました。。。
コメ経済であった江戸時代、亜熱帯気候のためコメが獲れなかったため、それに代わるサトウキビを奴隷状態で作らされておられましたが、明治の中頃から、だんだんと奴隷搾取状態が解消され、今では、農業に携わる八重山の方々を経済的に潤す“黄金のサトウキビ”になっています。
内地(本土)よりも千年程、鉄(鉄製の農機具などの道具)が入ってくるのが遅れたからといって「成長進化が遅れている」ということではなく・・・
歴史の進み方や文化の伝播の仕方が、離島である八重山界隈は内地のそれとはまったく「違う」というだけのことであり、文化や精神的レベル/人間的優劣とは一切関係はないです。
一見「遅れていること」が、実は現在の令和の時代に於いては、(平成の終わり頃に)時代が“回れ右!”をして【最先端】だったりもします。
その【最先端の何か】を求めて、我々大和人(やまとんちゅ)は、沖縄・石垣界隈に吸い寄せられるように、こぞって旅しに行っているのではないでしょうか。
「石垣島発 私設かってに観光協会(八重山人気質)」のホームページ内に、【八重山タイム】という言葉がありました。私も過去数回、そのことを痛感する出来事にあいました。
とにかく、事前に時間/スケジュールを決めて、その通りに遂行する意識(習慣)が、八重山の方々は内地に比べて乏しいんです^^;
私は旅のスケジュールを3ヶ月前にはカッチリ決めて、その通りに遂行したい人間ですので(※計画するエネルギーは旅する前のみで、旅行中はその計画をその通りに、効率よくスピーディーに、ひたすら遂行することだけに専念したい人間ですので)、石垣島に行くまで、往復の飛行機の時間以外何も決まっていない・・・直前でコロコロスケジュールが変わる【八重山タイム】を理解するまで、精神的にチョットしんどかったです(笑)。
本土の24時間と、島の24時間が、全く違う時間軸に感じて仕方が無かったです~^^;☆
【八重山タイム】で生きる島の方々は、島の風土/長い歴史によって創り上げられた【八重山タイム】で生きることが習慣化(固定化)された方々で、せっかちな大阪人のように、短時間でたくさんの物事を処理する【並列処理】を的確且つスピーディーに実行する必要性が日々の生活上であまり無いようですので、(大阪人から見て)のんび~り生きておられるのだと分かりました。
「なんくるないさ~」的にイライラしない、怒らない、焦らない、、、ガマンしまくらなくても、ガツガツ働かなくても、贅沢さえしなければ、そこらへんになっているものを食べ生きてゆける。
言動がゆっくり、車の運転も制限速度かそれ以下。だけど島の人の車を煽ったり、抜かす人もいない。全般的にみなさん穏やかで優しいです。
八重山のコミュニティは東京や大阪(都市圏)とは違い、小さくてシンプル。場当たり的に対処しても、そのコミュニティに属する方々はみんなそうなんで(笑)、それなりにちゃんとまとまって、うまくいくようになっているようです。
このコミュニティ・スタイルが嫌な人は、とっくの昔にこの島を出ていっておられるかと思います。
逆に八重山気質の人が都会に出てきたら、そのスピードの早さや的確な処理を同時多発に求められるコミュニティについていけず、心身が病みそうですね(笑)。
・・・大阪から1500キロ。しかも海に囲まれた国境の島なので、周辺の島々ともまた文化や風習、言葉などが違うそうです。
島という隔離空間が、人流(じんりゅう)を阻み結果、その島の個性、この国の多様性を、この令和の世であっても紡ぎ続けてくれているんやなぁと実感しつつ、古代日本人はきっと、八重山の方々のような感じで生きておられたんやろうなと。山内丸山遺跡などでかつて暮らしていた縄文人(我々の遠い祖先)の風景(いきざま)を私は、現代の石垣島で観ました。
ということで私は【島旅】がとても好きです。
島は海に囲まれている関係で、本土のように人流が激しくなく、均一化されていないので、時代時代での古き良きニッポンが例え断片であっても遺っており、非常に面白く勉強になり、そして感動的です。
来月は四国に2回行くので、遠方の島旅はありませんが、4月は司馬先生の『街道をゆく』を片手に、今度は鹿児島県の種子島に行くべく、既に綿密なスケジュールを立てております(笑)♪
今回の旅はたくさんの方に、たくさんお世話になりました。
ありがとうございました(=人=)☆


