判断

当事者の人たちとかかわればかかわるほどに、

その人たちを知れば知るほどに

どこに判断を置くのか、

ものすごく難しいな

女性たちを知ること、たのしく話せるチームであるのはほんとに
CASAを感じる瞬間でその時間が何にも変えられない

でも同時に
いろんな抱える問題が見えすぎて、知りすぎて
CASAはチームだから

私には判断することでその人の生活に対する責任がある

ただ、単純にいいことだとは思う.
今が一番の転機なのは重々承知の上

判断が求められる
私の判断ではなくCASAの判断

個人のための動き、全体を考えての動き

判断が難しい.

でも、そう言っているとどっちもできない

今、私がすぐにしなければならないことはどっちなのか?
その判断には「重い責任」があるから

下を向いてしまう
目をそらしてしまう

そしてその姿がなさけないんだなぁ・・

情けなくうつるんだろう

自分に自信がないとかあるとか関係ないはずなのに
そんなこと考えなかったのに
なぜそればかり考えるのか?

できるかできないか
そのプロセスに一番の意味がある

能力がないとか

一番自分が自分をよく知ってるというけど、

結局まだまだ
わからないことなのに、
できない理由としてそう考えてしまう

「自分には力がない」

だから「できない」

逃げる理由だ

そうじゃないんだということ.
自分でも自分のことなんてまだまだ分らない

やってないのに決めつける

体だけじゃなく、ほんとの意味で行動すればいい

自分の自信の持てる部分を探す作業をしてる時がある

よくある

それで見つからなくて

「あ−なんなんだ自分」と、下を向く.
下を向きっぱなし

でも気づけた,
はっきりと

そんな時間はムダだ.

あまったれんな自分 笑

も−

何をいわれようが
CASAを創ることが私の人生の使命だ

つきすすめ