感謝されるようじゃまだまだ

社会開発論というとてもおもしろい授業があるのですが、

その時に「当事者主役」の話が近頃頻繁に出てきます.
当事者が主体となって、自分達で道を切り開いていくというもの

これがまたおもしろいんですよね〜(%ニヤ女%)(%ニヤ女%)

今日先生がさりげなくいった一言、
「まぁーつまり当事者の人たちから感謝されるようじゃまだまだってことで」

そこに込められる意味というか・・

考えさせられた.

どこまでが自立であり、どこまでが主体なのか?
その線引きってどこ(%ショボ女%)?

支援対象はかわいそうな人たちではない、
自分達の強みに気づいてもらい、それを横から支えること

ボランティアは「してあげるもの」だと考えがちだが「することを支援すること」であるという話とか…

でもなんか、女性たちとのミーティングの持ち方を変えてみようって思えた.
今までは、何かのイベントがあって、それだけに基づいた決めごととか
こっちが提案したことを一緒に決めていくって感じで

週末にある大切なミーティングでは
今までと違うやりかたをするタイミングなのかなぁ?

「意見」を聞きたいと思う.

ある程度は話を進めるかもしれないけど、
今回は、
あえてざっくばらんに話てもらうことで生まれることがあるような(%ニコ女%)

いろいろあって、女性たち全員が顔を合わせることで
意見のぶつかることを恐れて(ぜったいぶつかるんだけど・・・)、

いつも女性たちの中でも中間的な立場をとってくれるタイ人のAさんに相談してみた.

どうしたらいいかなぁって

そしたらもっともなことを.

「たぶんケンカするかもしれないし、いや〜な雰囲気になるかもしれないけどさ〜
いいんじゃない(%ニコ女%)?
だって、こどもじゃないんだから.
お互い大人だから大丈夫よ〜
仕事の話、本気の話のときにぶつかることをおそれてはいけないよ
もしなんか起ったら私がみんなに説明する」

って.

そうだなぁ

子供じゃないもんな.

相手は「大人」だ

なんかどうもそこを忘れてしまうというか・・
結局特別視してるというか・・
お母さんと同じ年の人たちと私は歩いているんだってことを
どうもわすれてしまうんだよなぁ・・・

私なんかただの小娘 笑

娘のように思われて大切にしてもらうのはいいことだけど、
仕事となった時にそこの区別をしっかりしないと危ない気もしてきた

そのために、やっぱり、しっかりするとこはしっかりと
私が態度をもって示さなければならない、と思うのです.

ただの仲良しクラブでも何でもないし、仕事にしようと本気で思ってくれている、
CASAにかけてくれているんだから

経験とかが少ないという面からではなく、
「年齢の差」の壁はでかいなぁと思うから

女性たちにもプライドがある.

彼女たちにとって私は十分に娘の年齢

いろいろ、これから決定することが多くなる中で
その壁というのは大きくなっていくだろう

ここをどうやってクリアしていこうかな・・・