あいなん町で学んだこと

愛媛県のはじっこにあるあいなん町へと、
TANKメンバー数人と3泊4日で行かせていただきました。

オープンキャンパス後もやることは山積みで
ドタバタと家出するかの様に家を出ていき
気がつけばもう愛媛!という感じであわただしく旅だったのです。

今回の目的は2つ
ひとつは本気の休み、少し息抜きを兼ねて田舎へと旅立とうというもの、
そしてもう一つはCASAを体現したものがここにはある、という話を聞いていたから
それをこの目で確かめて感じたいと思ったことです。

う−ん・・

行った思い出を書き出せばきっときりがなくって。 

なんか毎回どっか行くたびにおんなじようなことを言うけど、
本当に一言、行ってよかった(%ニコ女%)

すばらしい人々と出会い、漁に出て、釣った魚をその場で漁師さんにさばいてもらい、もう忘れていた
あの日焼けのヒリヒリを感じ、
毎日毎日おいしい海の幸をおなかいっぱい食べて、自分で魚をさばき、すいか泥棒をして、温泉に入り、うどんを初めてイチから作り、地域のお祭りに参加し、
当事者の方からはなしを聞いたり、NPOの方から様々な角度でお話を聞き・・・

あいま、普段はできない読書を楽しみつつ

毎日毎日充実したゆっくりとした時の流れる毎日を送りました。

3泊4日で得たものや、感じたあたたかさは全部宝物(%ニコ女%)(%ニコ男%)
ひとつひとつがきっらきらでどうしようもないな。

こんなしあわせでいいのかな−って
にじのかかるおっきーな海で暖かな潮風に包まれながら船にのっているときに
ゆっくりとした時を感じながら・・・思いました。
この感覚を忘れたくない。
苦しい時に私の背中を大きく押してくれそうな感覚です。

あいなん町でのこの経験は
必ず、CASAへつながる

とういうか、つなげる。

あいなん町、なんぐん市場

そこには「あたりまえ」という言葉の根本があったなぁとおもいます。
あたりまえに、健常者と障害者が共に生きている世界がありました。

あたりまえっていうのか、それは自然っていうのかな

違和感全くなく。

メンバーの一人が言ってたことばだけど、
こんな私たちでも受け入れてくれる、

とにかく受け入れてくれるあたたかすぎる、心地良すぎる空間がいつもあって。

病院で開かれる夏祭りでは、地域の人みんなが、
おじいちゃん、おばあちゃん、わかもの、子供、当事者、私たち

色んな人がみんなひとつの瞬間を
いっしょに楽しんでいるその風景をみたとき

あーこれだ。

って素直に思った。

私が実現したい世界ってこれだなって

夢のような感覚でした。

当事者の人を祭り立てるでもなく、変に一緒なんですと強調するでもなく・・
その場に対して、なにかの説明がいるんじゃなくて、
本当にそれが自然なんだって思わせる。

精神障害の人もいっぱいいた。

ただ、誰も避けない、排除しない。

わたしの住んでるところではありえない。

自然なんです。

それが「あたりまえ」って誰が言うわけでもないけど、
「これがあたりまえなんだよ」って地域に言われている気がした。
みんなが当たり前。

こんな世界

無意識に求めていた自分がいた。

きっとだれもが求めているんだろうとも思う。

CASAを求めて、なにがなんやら毎日忙しくして
悩んで、苦しんで、喜んで、わらって
走って、たまに立ち止まって、ちらっと後ろを見てみたり・・
でも前に進もうともがいている。

そしたらかけがえのない人やもの
目に見えないものも

色んなものが自分の中にしっかり残る。

生きてるから

色んな姿をしながら前に進む。

そんな毎日の繰り返しの中で
わたしはこんな社会を求めてた。

全部が全部

「田舎だから」

そのひとことで片付けられるかもしれない。

ここだから、あいなん町だからできるんだって

まず私が感じたことはこれ。

ここだからこそできる世界。

ただ、それを言い訳にしてしまうと、それまでな気も同時にした。
田舎だからじゃなくて、
日本の社会でこの世界が実現できるんだって信じよう(%ニコ女%)
それを自分がCASAを通して実現しよう

そう誓いました。

感じることは山ほど、あたまが痛くなるほど考えたことも山ほど、
あいなん町での3泊4日ではありました。

久々に想いが大きくなった。

当たり前になっていた想いが、もっともっと膨らんだ。
久々の感覚でした。

しあわせっていう感覚だけでもなく、
シビアなことだっていっぱい考えた。

厳しさも感じた。

甘さも感じた。

矛盾も感じた。

ここでもやっぱり悔しさを感じたり。

色んな意味での自分の言葉を見つけたいとも思った。

不安も感じた。

いろんな気持ちが重なった

でもこうやって自分はすすんでいくんだろうな−って改めておもった。

なんせ、

最後に思うことは、CASAを創ろうという気持ち。

なにを思っても最後にここにつながる今は
絶対だ。