今日は「かいご(介護 医療 ご近所)学会2009」に
去年と同じくお手伝いとして携わらせていただく機会をいただきました。
去年、1年生のとき何も知らずに手伝い、話しを聞いたときに
衝撃をうけたことをすfごくよく覚えています。
介護ってこんなにもたくさんの問題があり、
それは本当に切実なものなんだ、と。
今年もまた去年とは違った意味でたくさんの気づきをいただくことが出来ました。
この学会は本当におもしろい。
ディスカッションが特に。
介護者当事者の方の切実な想いをなんども聞く場面があります。
そして専門家の方や医療関係の方とのやりとりもあります。
これこそ本当に意味のある学会だと私はおもいます。
ここにきた人がどれほどの想いを持ち集まっているか、
どれほど不安でいっぱいなのか。
家族の介護、介護される当事者ももちろん家族だって不安に決まってる。
一番つらいのは介護者ではなく介護を受ける当事者なのかもしれない
みんなが不安なんだ
話しにも出てきたことなのですが、
自分が認知症になる初期の段階のころ、
いったいどれほど悔しい想いをしたのだろう、
どれほどつらかったのか。
その人は旦那が初めて外出先で失禁をしてしまった時の、
話をして下さいました。
旦那さんは悔しくて、その事実を知ったとき、床にかばんを叩きつけたと言っていました。
いったいどんな気持ちだったのだろう。
本人が一番つらくて、悔しいはずです。
信じられず情けなく、いったいどれ程の気持ちなのか。
また介護者の方々も自由な時間もなく介護にあけくれる毎日、
自分のことも忘れ去られてしまう、
つらさの連続だと思う。
そこには想像もできないような苦労がたくさんあるのでしょう。
その肩の荷をそっと下ろせる場所として、
集い場というものがあり、それはその人にとっての
なくてはならない「居場所」。
絶対になくてはならない。
これが「居場所」なんだ、と。
ディスカッションの中で介護者さんからもヘルパーさんからもお医者さんからも
「寄り添う」という言葉が何度もでてきた。
その人に寄り添うんです、
その人の心に寄り添うんです、
思い出に寄り添うんです…
たくさん「寄り添う」という言葉が出てきました。
書けばきりがないのですが、
今回のかいご学会で前回と一緒でとても貴重な気づきがありました。
「寄り添う」「居場所」
この2つの言葉の意味が本当に心の声として生で聴くことができた。
私が普段使っている「居場所」
CASAも「誰もにとってもの居場所づくり」そう言っています。
でも本当の居場所って具体的に何なのか?
私は居場所というものの、本当に居場所を感じ取ったことがあるのか。
今日、この学会を主催していたNPOさくらちゃん、集い場さくらちゃんが
それなのです。
「居場所」ってそういう場所。肩の荷を下ろせる、話すことが出来る、笑うことができる、
なくてはならなくって。自分の居場所なんです。
「寄り添う」ということも同じく。
今日はたくさんの気づきをいただき、
CASAにリンクするところも多く
最後には少し涙が出るぐらい
私なりに、いろんなポイントで
たくさんのあふれる想いがありました。
これは、介護に限ることではなく、誰もが抱える想いなのだと思いました。
CASAに直結することが本当に多かった。
私が介護のことを語るのは浅はかすぎるほどに浅はかなのですが・・・
本当に、なんというか
この学会に出ることができて良かったです。
そして、
まだまだ私は当たり前のごとくやれることがあります。
いちいち、小さなことに悩んで落ち込んで
でもやっぱり前を向かないと。
とても強い気持ちにならせていただきました。
みんなで立ち上がるってこういうことです。
そして、CASAの女性シェフ一人が以前言っていた「立ち上がる」という言葉
もっともっと大切にしなければいけない、そう思いました。