自分とちがう人

関学のライトアップ(%ニコ女%)
ぴっかぴかでほわほわで

とってもきれいです。

心が温かくなりました。

最近、よくこんな言葉を聞きます。

「自分と違う人」

ある講演会や普通のはなしの中でも出てくる言葉。
自分と違うから、自分じゃないから
結局自分ごとにできないから、

排除するんだ、という話。

特に介護であったり、障害者であったり。

排除の構造。

前回のTANKのなんでも塾でポリオの当事者の方がお話に
来て下さった時もでてきた話でもある。

「自分と違う人たち」

マジョリティ、マイノリティという言葉がある。

そして結局その排除の構造というものは、
マイノリティがマジョリティに合わせようとすることから始まる。

なぜ、マイノリティがマジョリティに合わせなければいけないのか、
その人にはその人のスピードがある。
全ての人が同じ権利がある。

すくない人が多い人に合わせないといけない、そういう空気を作っているのは
誰なのか?社会なのか?なんなのか

どっちがどっちに合わせるなんて決まってない。

逆になぜマジョリティがマイノリティの人々に歩み寄らないのか。
社会的に弱者と呼ばれる、マイノリティの人が合わせる必要性なんてない。

おかしい。そもそもCASAだって、そこを変えたいと思うことが根本にあったりする。

でもそうさせる社会なんだ。

もっともっと歩み寄ることできるよ。

なんか社会がとか大きくひとくくりにしていってしまう。
でも実はそうじゃない。

私は、最近、それは社会のせいで、社会が、社会が・・・
そう言っているけど、やっぱそうじゃないんだよな。

先日、ある介護関係の方がおっしゃっていたことは
「行動が出来る人になりなさい」と。

頭で考えて、じっと考えるのではなく
そんなに頭で素晴らしいこと考えても、動かなければ意味がない。

だから「行動が出来る人間」になりなさいって。

良く分かっている。
計画、行動

行動することが何よりも難しくてエネルギーがいることだから。

それを聞いたとき、その人が
「まずは地域の中で隣の人に自分が出来ることから」って言ってた。

でも私は、もっともっと近くで。
今、隣の人に何が出来るか。それを大切にしたいと思った。

小さなことが大きなことになる。
すっごい
実感してるから。

まずは自分の隣の人から。

行動してみようと思う。

そんなことを思った。