中高生も大きな戦力・・・「高塚門扉通信」発送作業

高塚門扉・グループ 生命の管理はもうやめて! 通信の発送作業!
ほぼ20年続いている20ページの冊子(季刊)折りこみ作業を中高生にまかせた。

「新聞屋みたいや」「バイト代は?」などなどすこしは不満をもらしながらも
せっせと手をうごかしてくれる。その作業を撮影していると、
「センセーも働こう!」と女の子から声がかかる。
「いや、こんな作業まで文句も言わずにやってくれる姿を保護者に見て
もらわないと」とボクが言うと、「下手な口実はいいから」とヤジが飛ぶ。

 1990年7月6日の晴れた朝、石田諒子さんは、いつものように自宅を出て、高塚高校に向かった。試験中で前夜も遅くまで勉強していて、登校がぎりぎりになり、門の見える直線道路は小走りで校門に向かった。しかし非常にもチャイムがなると同時に鉄の扉がしまり、ギリギリセーフのはずの彼女の頭が、鉄の扉にはさまれて、即死。彼女は帰らぬ人となった。

 1990年7月1日、それはフリースクールが産声を上げた日。その数日後にこの悲しい事件は起きた。管理教育の犠牲として、鉄の扉を記念碑として残そうという主張も却下され、いま高塚高校はまるでなにもなかったかのように、高校生は当時と同じように登校している。

 この事件を忘れないために、管理教育の行き着く先が『殺人』であることを記憶しておくために、我々門扉グループは、毎年校門前で同じ時間に追悼集会を開催している。この事件を風化させないために、保護者も教育者も今後脱線しないために、この事件を忘れてほしくないと思う。

 そんな内容の話を中高生にすると、不満をもらしていた子も黙々と手を動かしてくれ、あっというまに発送作業は完了。ごくろうさまでした。我々は、記憶するだけでなく、若い人に語り継ぐ必要があるのだと教えられた1日でした。