淡路倭文の里山・・・中高生が間伐材の切り出しに

村落の高齢化による人手不足から里山は放置され、枯れ木を拾う人も間伐材を切り出す人もなく、鬱蒼と茂った原始の森にもどりつつある。何百年にわたって人間が耕してきた農地が大きな森の精に侵食されていく。見た目は「緑豊かな大地」という感じだが、現実は、そんなのんきなことは言っておれない。人間と森が共生していくために、やはり放置すれば、限りなく農地は壊されていく。竹の根が張り、大木がひしめいて、もはや野菜や果実を実らすことのできない、手付かずの森に変身してしまう。森が悪いわけではなく、大切なものだが、原生林と共生することはできない。農地を開拓してきた農耕民族の努力をここで台無しにしてしまっては、長い開墾の歴史を塗りつぶしてしまうことになる。森に光と空気を送り込み、鬱蒼とした人を寄せ付けない森ではなく、人と共生していく親しみのあるやさしい森であってほしいから、これからも人間の努力が求められている。

 不登校の中高生が里山の間伐材伐採に汗を流してくれた。しばらく人が入ることのなかった森はなかなか手ごわい。切っても切っても光が射し、風が通る林にはならない。そして大きな森が畑に影をおとし、日光をさえぎり、野菜から太陽の恵みを奪ってしまう。ひ弱な野菜は森の妖精には手が出ない。どんどん畑に押し寄せてくる波のような森の力を微力ではあるが、すこしでもその侵食を食い止めるため、荒廃する里山の管理をぬかりなく進めていかねばならない。

 あらためて農業とはすごいなと思う。農地を守り、維持していくことのたいへんさをひしひし感じさせられた1日だった。