絵本「100万回生きたねこ」の作者である佐野洋子さんの本「覚えていない」を手にして、朝晩の電車の中で読んでいる。
その中で
『男は仕事の話はいくらでもする。共通の目的と意識に向かって、言葉を伝達手段として行使している。しかし年老いて自分の役割が終わると、男達の言語も終わるのである。定年になって男が女にうとましがられるのは、何も自分の身の回りの始末が出来ないばかりでない。言葉を失うからである。語るべき己れは、すっかり会社と仕事に捧げつくしたのである。自分と他の人間をつなげるものが仕事しかなかった人間に、他の関係を作れといっても無理難題というものである。男の世界は仕事しかなかったのだから、仕事を失うと世間も失われる。妻さえ失うのである。』 と、するどい男を観察する文があった。
日曜日の午後、JR元町駅で場外馬券売り場に急ぐおやじたちの群れとぶつかった。生気のない顔と顔、新聞を小脇にはさんで小さい声で予想を語り合いながら、それが唯一の楽しみだと言わんばかりになだれるように馬券売り場に吸い込まれていく姿をみて、佐野さんの文を思い出した。定年まで仕事1本できて、腑抜けのように競馬に通う男達、第2の人生と宣言するほどの夢も希望もない悶々とした時間。せめて競馬で刺激をもとめようとする男達。妻や子どもに見くびられても、いまさら生き方は変えられない。若い時、何を夢見て生きてきたのだろう。次の世代にバトンタッチしたいという迫力もなく、よく生きたと死んでいけるのか。このままでいいはずはない。
定年後の男達よ、目覚めるときです。いま時代を動かしてるのは僕たちですから。